アジアの風をいっぱいに受け 雲のように日々を・・・・
旅のずっと前から支度をはじめる妻をながめては「あわてもの」と笑っていた。
むかし‘せっかちネェヤ’という漫画があったが、いつもそれを思い出してしまう。
月が変わった。
今月は私がタイへ帰る。
クローゼットが狭いので考えもなしにラッゲージを引き出してきた。
なんせここは日本の倒れ荘アパート。荷物をちょっと移動すればこんどは居住スペースが狭くなる。なんとも貧相な住まい。
だから否が応でもカバンが目につき、そのたびに‘さっさと用意して出かけましょう’といわれているような気がして落ち着かない。
今回は私ひとりなので友人知人へのおみやげも買わない。それは12月に妻が来たときにあれこれ買い物ツアーをするにちがいない。
私が戻ることを聞きつけた妻の親友がUVなんとかを数本とか注文してきたらしいが妻は私が気分を害して戻らないとごねるのを気にして12月まで待てと断ったらしい。そうだそれでよいのだ。商売人でもあるまいしなんで私がそんなものを調達しなければならんのだ。とはいえ倍の値段で買うというなら話は別だが。そんな美味しい話はまずやってこない。
しかし家で食べるものくらいは妻の注文を聞いて調達することにした。
日本人の亭主が戻るといえば何を食うか。まず巻きずし、海苔はあるとしてもその他の材料は持って帰る。高野豆腐や干ぴょうは乾きものだから軽くて簡単でよい。
妻からのオーダーは焼きそば。インスタントではなくちゃんとした焼きそばが食べたいという。以前どなたかに教えてもらったが焼きそばのそばは冷凍しても大丈夫なようだ。なので数日前に買って冷凍しよう。ついでに煮込みちくわ、あれは巻きずしやお好み焼きに重宝するので多めに冷凍しよう。タイでもちくわは業務用スーパーにあるが短いミニちくわだけ。あれはいまいちだった。
えーとそれから、ワカメに味噌、これは味噌トンカツなどにも使える味噌を買いましょう。カレールウにコーヒー豆も数袋。焼肉のたれ、これもタイではなかなか。日本で売ってるのが美味しいのだ。
しかし皆様方の日々掲載の美味しそうな食事と比べてなんと庶民的な買い出しであろう。でもまあこれで満足できるのだからよしとしましょう。
あとなにかな。
残り数週間毎日買い物が増えてゆくような嫌な予感。
最初のお客
耳が痛くならないアイリスオーヤマのマスク100枚と
こんなものが必需品になったとは日タイ往復の血圧計

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北朝鮮は発射通告をして翌日、衛星という名のロケットを打ち上げた。
通告を受けた日本は防衛大臣が即刻自衛隊に対し破壊措置命令を発出した。しかし日本への落下が確認された場合という条件付き。それはもちろん領海内も含んでいるという解釈だが、じっさい落ちてきたらどうなのだろうと、いつもながらの防衛大臣のお決まりコメントに笑いそうになった。
今回の打ち上げで日本政府は確認後すぐに沖縄地域にJアラートを出した。
NHKもまるで戦争が起こったような騒ぎで沖縄、石垣島、官邸などから繰り返し中継を放送した。それが指示なのかどうか、なんど中継がまわってきてもおなじ文言しか喋ららない現場記者に呆れてしまったが、それもしかたないか、10分ほどの間隔で中継がきてもそんなに変わったネタがとれているはずもなかろうと思い直した。
どこだったか南の島の駐屯地からの中継もなんどかまわってきた。
常時空を向いてにらみを利かせているはずのPAC3がまったく見えない。というのも折からの台風の影響によって高価な武器はさっさと安全な場所に保管されたらしい。
これを中継の若い記者が新型防衛システム云々がみえませんとおなじ文言を繰り返したので、ながらで音声だけ聞いていた私なんぞも記憶に残ってしまった。
あとでチェックすると宮古島 石垣島 与那国島、いずれでもPAC3は引き出されず片づけられていたという。
もし近くへ北のロケットが落ちてきても手も足も出なかったのはいうまでもないが、まあ台風のためという言い訳はできただろう。
それにしても北のロケットが黄海上空で爆発してしまって、いやいやよかった恥をかかずにすんだよ防衛システム。
しかし北のロケット技術はなかなかではないか。
今回は失敗したが過去の打ち上げをみているとこれはもしかしたら・・・・と日本の頼りない打ち上げ模様と比較してしまうのは私だけか。
これはまたいずれ書きましょう。
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秘書官である息子を中心に首相公邸で忘年会のついでに写真を撮った。
赤じゅうたん階段での悪ふざけ写真が流出した。
この赤じゅうたん階段、昨年の岸田内閣改造時にはここで閣僚の記念写真が撮影されたが、じっさいは官邸のほうの階段が使用されてきた。
とはいえ、公邸官邸いずれにせよ公の場所でふざけた写真を撮る行為はどうかと思うが、その写真をSNSにさらしたファミリーがいたようだ。もちろんどこまでのファミリーが参加していたのかは不明だが、情報管理の不徹底、危機管理に対する危うさが指摘されるのも致し方ない。
結局息子の首を切って鎮静化を図ったが、遅すぎたのはこれもまたいわれても仕方がない。親ばかチャンリンはいずこも同じだが、これで息子の政界進出はあるとしても数年は遅れることになった。まあすべてが勉強だろう。
しかし、支持率をにらみ常に世間の動向を気にすることを大衆迎合主義だとして首相を非難する声もあるが、これもまたあえての非難にみえてしまう。
ポピュリズムの何が悪いのだ。
保守政権内の意見だけで政治が行われるものでもない。一般大衆の声を気にして方向性を考えるのもごく当然のことだろう。
日本国の首相としてはこれくらいカルイほうがよいのかもしれない。なまじチカラがあるとへたな自信だけで片側に突っ走る怖れもなきにしもあらず。右や左の旦那様とあちこち気にしながら、いってみれば御用聞き政治も国民にとってみればなかなか心地よいのではないか。
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ウィルスの世界も忙しいようだ。
新型コロナが世界を席巻して多くのスタンダードをぶち壊してしまった。
次々とワクチンが開発され治験もそこそこにばらまかれた。当初はワクチンさえ打っておけば安心だと思ったが、じつはそんなことはなかった。
ウィルスも種の保存に懸命であちこちを少しずつモデルチェンジしながらワクチンの防御をすり抜けようとしてきた。
いまはワクチンなどほんの気休めでしかないと多くの人間は悟った。
それでも巷の説ではオミクロン対応ワクチンを打っておけば症状はかなり軽くてすむらしい。
ついに感染してしまった友人家族。
このワクチンを未接種だった旦那は39℃以上の熱が数日つづき、喉の痛みがひどかった。けれど妻はオミクロン対応ワクチンを接種していたおかげか発熱も一日ほどでおさまり他の症状も拍子抜けするほど軽くてすんだという。
たしかにコロナの型も変化しているようでかつてのように肺機能にダメージを受けて咳が止まらないといった症状はなかったらしい。
しかし多くの症例から統計をとったわけではないのでそれぞれ持病の有無なども関係し、ときには重篤になったりするケースもあるのだろう。
ここに書いたのは軽くてすんだほんの一例にすぎない。
聞けば、医者から出た薬は解熱剤だけだったということ。コロナに感染したからといって特別な治療薬が出るわけでもないらしい。
そんなものなのかとなんだか拍子抜けした。それぞれ患者の症状や既往症などから治療法も変わるのかもしれないが、それにしてもなあ。それでは風邪とおなじではないの。
それでも友人はいった。
「多くがマスクを外してもできるだけマスクをして、危ないところ、人ごみにはできるだけ近寄らないでくださいね。自分は注意していても、うちのように子供が持って帰るケースもありますから、ほんとに気をつけてくださいね。息子の周りではほとんどマスクをしてなかったといいますから、とくに大学ではね」
ああ幸運に感謝しよう。
秋まで大学にも用がない。
これは仏陀の思し召しだ。
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ビザの季節がやってきてタイ領事館へ。
久しぶりだった。
顔見知りのお姉ちゃんはもういないだろう。
領事部のビザセクションにいた彼女と親しく口をきくようになってから何年か。
生粋のタイ人なのに日本語の読み書きが堪能。当然といえば当然なのだがなかなかの日本通で、タイ外務省に採用されたのも理解できる人材だった。
コロナワクチンがゆきわたり渡航禁止が解除された頃にはまだそこで働いていた。
お互いに無事を喜び混雑も忘れて話し込んでしまった。
ビザの申し込みは午前中1時間単位の予約制になっているので今は以前のような混雑はない。
私が予約したのは9時30分から10時30分までの時間。
10分前に着いてしまったが早めに上がっていった。
エレベーターで一緒になった彼は大きなラッゲージを引いていた。
「これからすぐ出張ですか」
領事館へ来る日本人でこんな旅支度のサラリーマンはめずらしい。すこしおもしろくなって余計なことを聞いた。
大阪に出張があってそのままこちらでビザの手続きをして発給され次第タイへ行くのだという。
「31日までに来いといわれてるんです」
大変だな企業戦士。頑張ってね。そういってから、
「すみませんね、まるで他人事みたいに、でもまあ他人事だけど」
二人とも笑ってしまった。
タイのスワンナプウム空港からほど近い企業団地だという。むかしからある企業団地で自動車とか関連会社も多いところだ。そこでしばらくのタイの生活がはじまるのだろう。
しっかりした会社らしくすべての書類は完備していたようでビザの受領日を告げる声が聞こえてきた。
まだ30そこそこの若者だった。どうか元気でがんばってほしい。
ビザ発給のための書類を片手に持ち私も受付へ。
向こうに立っていたのはなつかしい顔だった。マスクのない顔、満面の笑みの見本のような笑顔が迎えてくれた。
「おお、まだいたのか、なつかしいなあ」
「ほんとに、お久しぶりです」
相変わらず流ちょうな日本語。
「何年ぶりでしょう」
「でも1年くらいかなあ」
すると私のパスポートをパラパラとめくり、
「でも2年近いですよ、前のビザが切れてから来てないですよ」
「そうかしばらくビザなしで行ったり来たりしていたかからか」
「あ、そうだ」
私は思い出した。
この冬、妻が日本へ来たとき、いつもビザのことでお世話になっている領事館へ行ってみたいといった。けれど多分顔見知りの○○さんはもう転勤していないかもしれないと領事館を訪ねなかった。
「まだいたんですよ。来てくれたらよかったのに」
「そうか君に会いたがってたのに残念だったな。あ、そうだ、今年の12月にまた来るけど、こんどの異動時期は10月か、どうだろうね」
「いますよきっと」
「なんだそれ。日本に永住するのか」
そんなことをしゃべって、声を出して笑った。私たちのしゃべり声だけが響いているようで後で気になった。
そんなこんなでビザは発給されることになった。
申請書類も各種そろえたが問題なかったらしくなにもいわれなかった。
最後に、手数料を払う段になった。
「22000円です」
「高いな、すこしまけてくれない、知ってるだろうけど金がないんだよ貧乏なんだ」
彼女が真剣に困った顔になって、それでまた大笑いした。
2日後にビザが出れば、予定通り来月、渡り鳥は南へ飛んでゆく。
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