バンコク・早朝の街で
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ยินดีต้อนรับสู่ Blog ของฉัน [ไดอารี่เกี่ยวกับเมืองไทย โดย Mr.Chiibou]
ようこそいらっしゃいませ、ありがとうございます
昨日、まだ暗いうちから出かけた。
「今日は歩いてゆく」という魔女のお供。忠犬としてはボディガードと運動不足の解消にもよいだろうと考えた。
「歩道を歩いているとわかるでしょ、いかに日本の道が整備されているか」
たしかに。
バンコクはかなり整備されてはきたがそれでもけっして歩きやすい道ではない。凸凹穴ぼこだらけの道は集中していないといつなんどき足をとられるかわからない。
なれているとはいえ余分な神経が疲れを倍増させるような気もする。
時間が早いせいで道路上の屋台も少なく準備中が多い。
それでもこんな時間から人々は道路に出て一日の商いの準備をしている。
フリーペーパーを配る人々、歩道を清掃する仕事は早朝ならではの光景。
・・・みんな頑張っているんだな。
生きるってことはこういうことなのだろう。
この街がこの国が感じさせるエネルギーは日本の街を歩いていて感じるそれとは異質のものだ。もっとむきだしの生への執着がまだ残っている街、もしかしたら戦後間もない日本もこうだったのかもしれない。
ようやく地下鉄のシャッターも上がったようだ。
前の路上では流行り歌をただ唄う女性。すこし離れた場所では「体の不自由な私に治療費を」の看板を置いた初老の男。
みんな生きるため。
恥などとは無縁の世界があちこちに点在する街。
なにげなく小銭をそっと入れてゆく若者。
このような光景もなれてしまうとただの日常のありふれた景色になってしまう。
みんなやさしい、それだけでは片づけられないなにかがある。
小銭をいれた女性はたぶんどこかの会社員かもしれない。それほど豊かな生活をしているわけでもないだろうが自分よりも困っていると感じればなにかをしてしまう。
それはこの国の人々のやさしさなのだろうか。それとも当然の義務と感じているのか。
いつか時間があるときに何人かに尋ねてみたい。
ふと思いついて魔女に
「あたしも空き缶ひとつで座ってみようかな。一日にいくら集まるかやってみたい。なんなら日本の歌を唄ってもいい」
「できる? やってごらんなさい」
白い目でにらまれ、
「私は知らない顔して逃げるわよ」

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コプクン・カップ (ขอบคุณมาก)
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