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今日は都合によりブロマガ日曜読物連載中の「イサーンの風にふかれて」から45話を掲載いたします。45 イブライム・フェラーを聴く 昨日の夕方ウドンターニ空港で二人を見送り、久しぶりにアパートで眠った。ゆっくり眠れるだろうと思いきや五時に目が覚めてしまった。鶏よりも早起きになっては洒落にもならない。
夜明け前の風景を見ながらコーヒーを飲む。
早起きした私を見透かしたように六時に電話が鳴った。M嬢だった。無事に関西空港に着いたという連絡だった。安心した。かなり疲れたのではないかと思う。バンコクからコンケン、そしてノンカイからウドンターニへと長距離の移動だった。しかし普通のツアーでは味わえないこともたくさん見て感じていただけたのではないかとチイさん・ツーリストは若干の自負もあるわけで、こういうふうに書いておくとよもやM嬢も反論すまいという目論みもある。Y子さんには何を見ても何を食っても喜んでもらってありがたいお客様だった。
午後、 キューバの老ミュージシャン、イブライム・フェラーを聴く。M嬢にお願いして買ってきてもらった。へミング・ウエイの愛したあこがれのキューバには当分ゆけそうにもない。せめて、タイの暑さのなかでイブライム・フェラーを聴いてみたいと思った。
「あの緑の瞳 あの静かなまなざし
永遠の愛の誓いを僕の魂に残した
その瞳は抱擁とキスと優しさと
甘い誘惑の全てを待ち望んでいる
……・ 」
あまりにも有名な「あの緑の瞳」やはり素敵だ。「シレンシオ・静寂」もいい。
なにもかも忘れて目を閉じる。このままキューバに瞬間移動ができないものか。気がつけばカリブ海が眼前に、なんてことになればキューバで死んでもいいかも。
雨の音だ。時間は午後二時。あっという間に空の風呂桶がひっくり返された。雷も近づいている。
キューバにもスコールはあるのだろうか。
窓辺にゆこうとしてやめた。先日の落雷を思い出したのだ。窓を閉めて音量を上げる。音楽が心にしみこんでゆく。こんなときはかるくビールなどをひっかけて昼寝にかぎるのだが冷蔵庫もない部屋ではビールを置いておくこともできない。
音楽は人を酔わせるというが、けっして酔っ払わせてはくれないとあらためて感じた日曜日の午後。テーマ:ドキュメント私小説 - ジャンル:小説・文学
クロントーイの路地の映画館
イタリア映画ニューシネマパラダイスを彷彿とさせる建物
バンコクでも下町にはまだ残っている。いずれ詳細を取材したい

ยินดีต้อนรับสู่ Blog ของฉัน [ไดอารี่เกี่ยวกับเมืองไทย โดย Mr.Chiikou]
ようこそいらっしゃいませ、ありがとうございますちい公ドキュメントな日々 14日分 14日、晴れて暑い日になった。空気もいつもより乾燥していた。日本のきびしい残暑の日を連想する。
朝から外出。
古いマーケットで有名なクロントーイでMRT下車。
市場を歩いてみようと思ったがやめた。とくに買いたいものもなくマーケットの写真を撮っても誰も喜ばない。
タイタバコへ寄ることにした。近くのセブンで飲み物を買って差し入れ。ひとつのオフィスでも
15人はいるから暑い中持って歩くのがたいへんだった。
卓球選手のMichikoがデスクにいたので少し話す。Michikoという通称名だが男性。彼はお寺めぐりが好きであたしの顔を見るたびお寺へ行こうと誘う。
イサーン出身なので東北部のお寺は詳しい。
最近田舎のお寺も改築が多く昔のまま残されているところを探せと注文。それでなくても赤くキンピカの寺が多いので、もっとひなびたところへ行ってみたい。
しばらくおねえちゃんたちとしゃべった。
みんないつも愛想がよい。半分通じないタイ語と相手が理解できない英語のチャンポンでそれでも会話が成立するのだから人間はすごい。そしてみんなが喜ぶので日本語もミックスする。
日本語といえば、タイ人のもつ日本語のイメージ、なんといっても「はい」という言葉。みんなこれが好きだ。
あたしが何か言うとすぐに「ハイハイ」と言って頭を下げる。
かつてはなんだかバカにされているような気分になったが、そうではなくこれが日本語のイメージなのだ。彼らに悪気はない。
昼食は会社の近所の冷房の効いた飯屋ですませ帰路についた。チャオプラヤー川に灯ろう流しを観に行かないかと言われたが断った。バンコクの人込みはうんざり。これがイサーンならすぐにOKするのだが。
地下鉄タイカルチュアラルセンターで下車した、ここまではよかったのだが、どうしてか全然ちがう出口に出てしまった。暑さでやられたのか、方向感覚がおかしくなっていた。いつもはゲートナンバーなど見ずに勘で歩いていた、したがって何番出口か覚えてもいない。
よくよく考えてみれば慣れないクロントーイの駅でホームへ降りるまであちこち回ったようで、それが原因しているのかもしれなかった。しかし乗るべき方向の電車にはちゃんと乗っているのに、おかしなことだ。
入り口の手荷物検査の係員に、BIG・Cが近くにないかと尋ねてみたがわからないという。パートのお姉さんも近所の人ではないらしい。
炎天下の中をイライラしながら歩いているともうひとつの地下鉄出入り口が見えた。
なんのことはない進行方向いちばん前で降りるべきを最後部から地上に出てしまっていた。数百メートル歩いてようやく見なれた景色になった。
もう少しでバイクタクシーに乗るところだった。たとえ何十円でも無駄なお金は使いたくない。後で後悔するのが目に見えている。
汗だくになって戻った。
日本でならおおよその方向感覚でまず迷子になることはないのだがいったいどうしたのだろう。
体内時計ならぬ体内GPSがおかしくなった日だった。
戻って歩数計をみると朝から10キロも歩いていた。
もうすこしでミイラになるところだった。
高僧なら有難がられるがフーテン日本人のミイラでは迷惑になるだけだ。