アジアの風をいっぱいに受け 雲のように日々を・・・・
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ようこそいらっしゃいませ、ありがとうございます
人間には寿命がある。寿命という物差しと言い換えてもよい。
天命という言葉もあるように、命は天から授かったものあるいは神仏が定めたという考え方もあるだろう。
生命の終わりが運命という二文字の漢字で片付けられる場合も少なくない。
人の命はかくも軽きものであったのかと今更のように驚き落胆する日々。
一見平和そのもの、そんな日本でも災害や事故事件で毎日多くの生命が失われてゆく。
未曾有の豪雨災害で命を失くされた人々。
それが運命などであろうはずもない。が、どうしてなのかと問われれば答えに窮する。
もう一方では、後を絶たぬ人の手による惨劇。
年間1000件ほどの殺人事件、その半分は近親者間の事件だという。
バットと包丁を持った男がうそぶく。
「誰でもいいから殺したかった」
祖父母だけでなく近隣住民までも手にかけた男。
この男がどのような日常生活をおくっていたのか詳細は不明だが専門学校へ行き仕事にも就いていたようだからこもりっきりの生活でもなかった。動機はなんだったのだろうか
近隣と交流がなく日がな一日パソコンの前に座っているような人間は現実社会においてはけっして少なくない。
血が流されることの痛みを理解せず目に映るのはただのモニター画像。
虚像と実像の境界が曖昧になり白昼夢のような世界で生きている人間もまた少なくない。
生命への尊厳をいかにすれば理解させられるのか。
一度失った命は戻らないことを、ひと昔前なら生きている環境からごく自然に学ぶことができた。
ナイフで指を切れば赤い血が流れ痛む。そのナイフが首や心臓に当たればすべてが終わる。
それは怖ろしいこと起きてはならぬことであったはずだ。

折しもタイ南部クラビ県からニュース。
8名が殺されたという。
ムスリムのからんだテロかと思いきや、そうではなく依頼嘱託殺人だった。
少なからず驚いた。
一人の男が7名の殺し屋にそれぞれの殺人を依頼していたという。
殺し屋組織があったわけでもなく、要するに金に困った半端者が誘われて殺人を犯した。
タイで人の命は高くない、そして誰でも簡単に殺人者になってしまうという現実。
人の命は尊い。
使い古された言葉が虚しい。
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いざとなってプリンターが使えない、ネットショップへ出かけた。
炎天下てくてく歩いて片道約2キロ。
プリントアウトだけだから最低料金。
・・・よしこれで日本でプリンターを使うことはもうないだろう。
店を出て半分ほど戻ったあたりでジーンズのポケットが妙に軽いのに気づいた。
「あっ!!」
思わず声が出て、渡りかけた信号で立ち止まった。

電話がない。
歩いているうちに落としたはずはない。ということはネットショップに忘れたに違いない。
プリントアウトだけだからとショップではいちばん安いオープンスペースを使った。
通りかかった客なら誰でも見える場所だから、もしかすると・・・。
焦りで小走りになった。
滝のように流れてくる汗も気にならず、さっき出たばかりのネットショップへ飛びこんだ。
客が使用した後、店員は一度かならず座席をチェックする。他の客が見つける前に携帯はカウンターに回収されていた。
体中から汗だけでなく力も抜けた。
スマホには、さまざまなデータを入れている。
セキュリティー面からしても、こんなことをしていてはだめだと思いながらそのままにしていた。
よかった、スマホを失くさずにすんだ。
データは外部へ移動させよう。
こんな事態がまた起こる可能性は高い。
いつからかスマホがメモ帳になってしまい、知らぬ間にかなり重要なデータまで保存している。もちろん大切なものにはロックなどはかけているが、それとて100パーセント安全とはいえない。
スマホのセキュリティをどうするか、いやそもそもスマホに大切なものを保存するのが間違いなのだ、こんなことを考えながら書いていると、本来書くべきだったトピックのスペースがなくなった。
またにしましょう。
みんなも暑さに負けないで気をつけてね。
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日曜日、姪っ子ミルキーの誕生日だった。
親もたいへんなようだ。
クラスメイトとのお誕生会、そして今度は親戚からお祝いしてもらう会、そして自宅でのミニパーティなど次からつぎへと自分たちの仕事の予定をキャンセルするような大騒ぎ。
とりわけ7歳という年齢に意味はないようだが、タイではこの歳からIDの所持が義務付けられている。いつも携帯しなければならない。
誕生日といえば来月初旬に妻の誕生日がやってくる。
毎年たいしたお祝いもしてこなかった。
どういうめぐりあわせか毎年この季節になるとなにやら用ができてタイから出ていることが多かった。ほとんどはビデオ電話でおめでとうを言うだけだった。
なんの因果か今年は8月初めにはバンコクに戻っている。
ふと気になって妻に尋ねた。
「君の誕生日や妹の旦那マックのバースデーはわかっているが義妹ポムの誕生日はいつかな?」
「はぁ?」
「今まで聞いたことがなかったな、そういえば」
「あなた、なに言ってるの? 大丈夫ですか?」
今度はこちらが、
「はあ、なんで?」
「わたしたちシスターズはツィンズね、忘れた?」
「わかってるよそんなこたあ」
返事してからようやく気がついた。
双子というこたあ、つまり誕生日も同じ日じゃニャイか。
日本の暑さと貧しい食い物のせいだな。

そういえば最近おなじようなボケた症状が頻発している。これはまた明日のことだニャ。
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バスの中の一枚
父がドライバー、母親は車掌というタイでは典型的なファミリービジネス。タイのバスは個人所有のバスが多い。
生活が厳しく子守も雇えず、女の子は毎日この劣悪な環境の中で生活している。
「ママおしっこ」
「もう面倒な子だね」
母親は乗客の視線も気にせずバスのフロアーでおしっこをさせ水でさっと流す。
そして子供をまるで他人の子であるように非難して叱る。
行き場のない子供は運転中の父親のそばへ逃げるだけ。
しかし誰が彼ら夫婦を非難できるだろうか。
SNSの投稿を見ていて時には笑い、微笑み、そして今日のように心を痛める。
20年前、わずか20年前と比較してもタイは豊かになった。
とりわけ都市部で人々は豊かさを享受しているようにみえ、日本の今と遜色のない日々があるように思える。
しかし一方で、いつまでも貧困から抜け出せない人々が地方だけでなく大都市バンコクにも少なくない。
かつてタイへ住みついた頃、自分に何かできることがあるだろうかと、当時は貧困の代名詞的地方であった東北部イサーンのあちこちを歩いた。
しかし20年前、すでにタイは経済発展の中途にあり、そこにはもはや一日本人が手伝えることは少なかった。
それで目を向けた場所がメコンを渡ったすぐそばの国ラオスだった。
山深い農村で出会った子供たちの希望に満ちた美しい瞳は今も常に心にある。
自分の活動がどうであれ、それは心の中ではもうすんだことで、それをいまさら売り物にするつもりなど毛頭ない。
生活の中心としているタイで、ときおり見かける豊かさのおこぼれにもありつけない子供たち。しかしその瞳はかつてラオスの山村で見た彼らと同じようにもみえていて、しかしもっと悲しみに満ちていることもある。
なにかできることはないか。
大都会バンコクで非力な日本人にできることはないのだろうか。
いたたまれない気分で見上げる日本の空。
28日、バンコクへ戻る。
それまでに考え準備すべきはなにか。
心までが熱く燃えるような日々がつづく。
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踊るポリスマン@タイランド
これはいつのビデオなのかな、詳細不明。
おそらくソンクラーンの頃かもしれないけれど、ここでは誰も水をかけてないしなあ。
もしかすると地方の何かのお祭りの頃かも。
粋なお巡りさん。
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恋の季節のあと・・・○○女の深情け
世間をにぎわせている芸能人夫婦の愛憎劇。
経済的には不自由のないカップルのはずだった。
愛は金では購えないとある者は言い、いやしかし金がないと愛だけでは生きてゆけないと他者はうそぶく。
愛に疑念が生ずるに至った過程は当事者夫婦にしか解らない。第三者が何を言おうとすべて想像の域を越えるものではない。
しかし人間の持つ嫉妬心には、ときには予想外の行為を正当化させてしまう残虐性が隠されている。
いま騒がれているカップルがどうなるかはわからないし、さして興味もない。
だが、待てよ、と我が身を想う。
誰でもより幸せな明日を夢見ようとするし、そのために何をすべきか考え、できうる努力をしようとするものだ。
さてどうする。
取り立てて不満のない日々に疑問を感じぬままフワフワと漂うだけでよいのか。
もしも・・・
たまには地に足の着いた生活を、と思い、両足で立とうとして消えた床に気づく。
ある日とつぜん笑顔の代わりに鼻先へナイフ。
あなたならどうする?
その前にお前だろって?
たしかに・・・だがあたしは生きているだけで十分なので今以上の幸せなど要らないのでござるよ。欲ボケになっちゃおしまいよ。なんでもすべてほどほどがよいのでござるよ
![images[1]](https://blog-imgs-114.fc2.com/i/s/a/isanwind/201707110759564e4.jpg)
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「君を愛しているんだ、なんどおなじことを言えば分かってくれるんだ」
「もしあなたが本当に私を愛しているのならお母さまを連れてきてちょうだい」
「ど、どうしてママが必要なんだ」
「こうみえても私はふるい女なの、お母さまのお許しがないと」
・・・ああ、こうして男はがんじがらめになってゆくのだな。

米 明日は、「恋の季節の果てに」テーマ:ドキュメントな日々 - ジャンル:ライフ
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