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    ちい公ドキュメントな日々

    アジアの風をいっぱいに受け 雲のように日々を・・・・

    ああ夏休み 都会の夏



     

     中学二年の夏、一家は県庁のある町へ引っ越していた。

     山村の未来に見切りをつけた母の決断だった。高校へ行くにしても近くの町でも下宿するしかない。ならばいっそのこと高校もたくさんあるもっと大きな町へ行こうということだった。

     母はこのころ化粧品のセールスでそれなりの目算もあったのだろうが、大きな決断であったことにかわりはない。

     町の中学校での一年半、そして高校、大学の時代を過ごすことになった海辺の家。
     
     だが、なぜか中学生時代の夏休みの記憶がない。
     枕元に海鳴りが聞こえる場所だったのでおそらく夏のほとんどは海へ出かけていたのだろう。だがこれといった鮮明な思い出がない。

     ひとつだけ覚えている夏。
     近くに住んでいた伯母がよく連れて行ってくれたカニ捕りの記憶。
     魚屋でもらったサバの頭を竹の棒にくくりつけ、そして竹網とバケツ。

     五分ほど歩けばもう海。
     テトラポットが並ぶ海岸。
     カニ、ほとんどはワタリガニの類だろう。水の中にサバの頭を差し込んでおくとすぐにカニが出てくる。カニがサバにしがみついたところを網ですくいとるという簡単な漁。


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     伯母は釣りも好きで、最初に教えてもらったのはキス釣りだった。
     テトラの上から竿を出す。面白いように釣れた。

     海釣りをおぼえたのはあのころだろう。
     渓流釣りしか知らなかった少年にとって海釣りはなんとも単純に思えた。渓流釣りなら足音を消してそっと竿を投げ入れるのだが海ではそこまで神経をつかう必要もなかった。
     バケツ一杯の釣果をみながら、海の魚は鈍感だと思った。


     近年、妻を連れてあの海岸を訪れた。
     かつて自分たちが暮らした小さな家はもうなかった。
     そして思い出の海岸。
     沖まで突き出したテトラポットの列は砂でうずまりきれいな海水浴場に生まれ変わっていた。

    「あなたがここにいたのね」
    「まさか今になってここへ来るとは思わなかった。それも、はるかタイから・・・」
     つぶやく夫。

     妻はそれ以上何も言わず、ただシャッターを押していた。

     
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    夏がくれば思い出す 怖いよぉ~




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     芝居や映画は夏になると怪談話が定番だった。
     どうして夏になれば怪談なのか。
     ぞ~っとして涼しくなるからなのか。
     いつ頃からこれが慣習、恒例のようになってきたものか。

     お岩さんに皿屋敷そして猫化け、そのどれもが怖かった。

     山里にも二か月に一度ほど町から巡回映画がやってくる。
     村のお店などにポスターが貼り出される。
     日活や東映の作品、裕次郎や中村錦之助、吉永小百合、当時のほんとうの銀幕のスターたち。

     ところが夏休みの時期に限って怪談が上映される。
     怖いのはわかっているのだが、これも数少ない娯楽のひとつで近所の子供たちと誘い合って公民館まで一時間ほど歩いてゆく。


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     行きはよいよい帰りはこわい夏の夜。
     星明りのなか懐中電灯片手に肩を寄せ合って家路を急ぐ。
     
     いつもなら、あのスターはよかったとか、あの二人はほんとに結婚するのか、などと映画の余韻にひたりながらワイワイとにぎやかに帰る。
     ところが怪談映画のあとはみんな静か。照らされたでこぼこ道だけを見つめながら一心不乱に歩く。

     帰る途中、道の上に墓場がいくつかある。避けて通れない関所みたいなもので、とりわけこの夜は怖い。
     今すぐ駈け出したい衝動をみんな我慢している。それがわかっているだけに自分だけが走って逃げるわけにもいかない。たとえ一人だけ駈けたとしてもみんながついてこなかったら今度はもっと怖くなる。

     自分たちのサンダルの音さえ背後からついてくる足音に聞こえたりした。

     怪談はいまでも嫌いだ。
     世の中に恐ろしいものなどないはずなのだが、怪談話だけはいまだにダメだ。


     タイにこんなお寺がある。
     ここはトイレ。
     花子さん、タイバージョンか。
     この寺に行ったとしてもトイレはぜったい使わない。
     漏らしても行かない。


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    嗚呼!なんだこの国は! 政治屋と役人ども


     
      日本のニュース。
     次から次へと国を襲う自然災害。多くの尊い命が失われ明日の生活さえ目途が立たぬ人々。
     
     悲惨な状況を横目に国会ではなんだ参院の定数を増やしただと。
     バカじゃないのか。
     参院などもはや良識の府でも何でもない、ただ無能な政治屋どもの受け皿、政党を維持するための道具でしかない。奴らに払う歳費などすべて国民の福祉にまわしたほうが生きた金になる。
     とっとと参院は廃止すべきだ。

     それになんだ、IRなんてわけのわからぬアルファベットで国民をだましバクチを合法化してしまった。

    拙ブログでの立場としては国がやることだから致し方なくこの法案は成立するとして、あえて反対の立場は表明しなかった。

     しかしこれを無視するわけにはいかない。

     そもそも公営ギャンブルというまやかしでこれまでにも多くの賭博場が存在しているのにこれ以上作る必要がどこにある。
     外国人にギャンブルをさせて巻き上げたいのなら競馬競輪競艇オートレースそれにパチンコまで、外国人向けのPRパンフを作ってガイドも養成すればよい。
     
     外国からお客を呼んで日本経済をより豊かにするなんてのはまやかしだ。カジノがなくたって日本にはこれからもやってきたいという外国人は引きも切らないのは誰でもわかる。逆に賭博場ができたために起きるであろうと予測される数々のトラブルのほうが問題だろう。
     
     それになんだ、役人ども。
     次から次へと賄賂だなんだと節操がないというかやることがみみっちい。
     水戸黄門に出てくる役人どもとなんら変わることなくいつの世も役人はあさましい。

     ニュースで日本の首相を久しぶりにじっくり見た。
     なんだろう。彼の表情が以前とはちがって見えた。悪い顔になった。前はもっと明るく清潔にも思えたのだが、なんだどうした。
     いよいよ悪代官に堕ちてしまったのか。黄門ちゃまを呼ばないとどうにもならないのかこの国は。

     まもなく首相を選ぶ時期だ。
     汚職役人と悪代官そして腹黒い商人どもが栄える国に成り下がるのか愛する日本国は。


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    Tea Brake 自転車に乗った日


     
     子供時代、自転車はあこがれだった。

     ・・いつになったら自転車を買ってもらえるのかなあ。

     同級生の何人かが自転車を持った。小学校二年の頃だった。
     自分も自転車がほしい。けれどもそんなことは言い出せなかった。お坊ちゃまとはいえ家にそんな余裕がないことはよくわかっていた。

     三年生になった。
     そのころの学校では珠算の時間もあって全国で実施される検定にも参加した。何級だったかはっきり覚えていないのだが六年生の時に2級検定にチャレンジしているからおそらく4級くらいの検定試験だったと思う。
    「今度のそろばん検定に合格したらなにかプレゼントしてあげる」
     母が言った。
     とはいえそれが自転車になるとは考えてもいなかった。

     発表の日。
     合格通知をもらっていさんで戻った。
     母が丘の上で待っていた。そして大声でこう言った。
    「自転車小屋の中を見てごらん~~」
     三軒の家があるのは川向かいの山肌。渓谷につり橋が架かっており渡り切ったところに三軒の家の自転車小屋が並んでいた。

     トタン板のドアを引き開けた。
    「わあ!」
     新しい自転車だった。ハンドルがピカピカ光っていた。

     母は息子が検定を合格するだろうという見込みで村で一軒の自転車屋に注文していたのだ。そして今日学校に電話して結果を聞いてから自転車を届けてもらったのだ。

     生まれて初めての大きなプレゼント。
     学校に入る前、町の写真屋の前でカメラがほしいと駄々をこねたときも当然買ってはもらえなかった。
     まだ安いアジア製などが輸入される前、自転車はカメラに匹敵するほどの高級品だった。

     さっそくピカピカの自転車に乗って川下の友達を訪ねた。その彼もすでに自転車を持っており、いっしょに学校まで走ろうということになった。

     その日、ピカピカの自転車で走る少年。ハンドルさばきもみるからに危なっかしい運転は大変な結末になるのだが、また機会があれば続きを書きましょう。




     では今日の動画「アニキはつらいのよ」どうぞ






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    ああ夏休み・小学生編④ 水泳




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     過ぎ去りし時代の引き出しにあふれんばかりの思い出。
     そのいずれもが愛しい。

     一つひとつをひも解いてゆけばそれは膨大な記録となりとても本ブログのスペースにはおさまりそうにない。小学生時代のお話は今日で終わりにしたい。

     夏の楽しみといえば水泳が解禁されること。
     山里の学校にプールなどあるわけもなく泳ぐのは山あいを縫うようにして流れる川。
     それぞれの集落で泳ぐ場所はおおよそ決まっていて、淵になっていて流れが急でないところ。

     午前中、お昼までは勉強の時間。
     早いお昼ご飯を食べながら空模様を見る。
     すぐ間近に迫る山と山。狭い空に大きな白い雲がゆっくり流れてゆく。
     今日は泳げる。

    「行ってきまぁ~す」
     水中メガネと、ときには長いホースを持って、坂道を駆け下る。ホースは今でいうシュノーケルだ。

     誰かが川へ行くのを待っていたように山肌の三軒の家から子供たちが河原に集う。
     まずはみんなで準備体操。谷川の水は冷たい。ひきつけなどが起こらぬよう学校の言いつけを守る。みんな純真だった。
     
     次の作業は、柳の葉っぱを石で砕き水中メガネのガラスにこすりつける。都会の子供にはわからないだろうが、メガネの曇り止め。いま思えば渓流の水が冷たいせいだったのだろう、水中メガネはなにもしないとすぐに曇った。

     淵の上手から飛び込み川下に泳いでゆく。浅瀬まで行ったところで歩いて戻る。晴天が続き水量は多くないとはいえ流れはつよい。

     こんなことを何度も繰り返し、ときには淵の深みに白い石を投げ入れ潜って取ってくる。水の冷たさで唇が紫になってくれば平たい岩の上で甲羅干し。

     誰かが向かいの川岸にいくつか長い石を立てて戻る。
     誰が何本の石を倒すか、そんな遊び。

     二時間ほど川で遊べば太陽はもう西の山にかかりはじめ、泳いでいる場所は肌寒くなってくる。
     今日の泳ぎはこれで終わり。

    「さいなら、またね」
     夏の草いきれのなか丘を上る。

     二階の屋根に広げられた蒲団。
     太陽はすでに防風林がさえぎっている。
     屋根の蒲団に寝そべって空を見る。心地よい疲労感ですぐ眠ってしまう。

    「下りてきなさい。ごはんよ」
     目覚めればもう夕方。
     庭に出された縁台に夕食が並んでいる。
     干し鮎の出汁で食べるソーメンは夏の味。

    「あ、時間だ」
     いそいで部屋に戻る。
     テレビ電波もこない山里。楽しみは夕方の連続ラジオドラマ。少年雑誌の人気漫画がそのままドラマになっていた。
     胸躍る時間。
     頭の中に広がる冒険の世界。

     ふと気がつけば外に夕闇が迫る。
     まもなくホタルが飛びはじめる。
     楽しい夏の時間はまだ終わらない。

     


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    ああ夏休み③ 夏の朝は


    ああ夏休み③ 夏の朝は

      
     渓谷の向かいから眺めると急な山肌にしがみつくように三軒の家がちょうど逆三角形に点在している、それが我が集落だった。

     眠い目をこすりながら早起きした。
     昨夕、川に仕掛けたウナギ竿を上げに行く。夏だけの楽しみ。

     竿といっても30センチほどの棒切れにタコ糸を結んだだけのもの。先にはウナギ針、エサはミミズ、いたって簡単な仕掛け。

     それを何本かつくり、これはと思った岩の下に仕掛けておく。忘れないようにそれぞれの岩の上にいくつか石を置く、それが目印だった。

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     そろそろと小枝を引き出す。食いついていると当然重い。暴れるウナギを竿ごと魚籠に放り込む。
     釣果のあった朝は足取りも軽く丘を駆けあがる。
     一匹あるいは二匹、これだけあれば家族がみんな食べられる。

     そして6時半になる前にもう一度坂を駆け下る。
     下の家でラジオ体操が決まりごと。
     我が家からはあたし一人、この頃妹はまだ幼く学校に行ってなかった。もう一軒からは男の子ふたり、中学生と小学生そして下の家ではお姉さん中学生と弟の小学生、みんなで五人。
     大きく枝を張った梨の木の下、ラジオに合わせて体操。
     終われば当番の上級生がハンコを一つ。

    「じゃさいなら」
     また丘へ駆けあがってゆく。

     庭に入るともうよい香り。
     母が表でウナギを焼いている。
     貧しい時代の贅沢な朝。

     いつものように繰り返される夏の朝、
     でも幸せだったあの夏の朝。




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    同級生の死



    同級生の死

     
     人間も長く生きていると人の死には必ず直面する。
     生者必滅会者定離、言葉では理解してるもののいまだに脳裏から離れぬ別れがある。
     
     夏休みの記憶をたどっていると若くして逝ってしまった同級生たちを思い出す。
     高校生活を終えるまでに数人の友人との別れがあった。そんな記憶を少しだけひも解いてみる。
     
     小学校の同級生でもっとも早く去ってしまった彼。
     あたしの住む里に近いこともあり学校の行き帰り一緒になることも多かった。
     彼は特別な男の子だった。ある時代には特殊学級というクラスにいるような子供だが、いくら子供の多い時代だったとはいえ田舎の小学校に特別なクラスが設置されているわけもなくみんな同じクラス。

     同級生はみんな彼のことを理解していたのだろう、そしてまた彼がやさしく穏やかな性格であったことで、誰も彼を特別視するわけでもなくごくふつうに接していた。

     ひとつだけ今も鮮明に覚えているシーン。
     家庭科の時間、みんなでカレーを作った。
     それを昼食に食べるのだが、彼だけは少しだけ食べて残りは持って帰ると言い張った。なぜならその日のカレーはとても美味しく出来て家に持って帰りたかったのだ。
     彼は、お皿に盛ったカレーをペタペタとスプーンで叩いた、それはまるで左官屋さんの仕事のようでみんな笑った。
     特別に貧しい家庭だったわけではない、ただ彼のやさしさがそうさせたのだと思う。

     中学校半ばで都会に転校したあたしが高校生になった夏休み、故郷へ向かう田舎町の駅で偶然彼に会った。
     彼は中学校を出て大阪で働いていた。
     スーツを着てネクタイ姿の彼がすごく大人に見えてまぶしかった。

     そんな彼の訃報を聞いたのはそれから一年も経たない頃だった。
     屋根から落ちて亡くなった、それだけの情報しかなかった。

     明るくやさしい彼の笑顔がいまも胸をせつなくさせる。

     
     
     

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    Break time 夏の恋


    Tea Break ・夏の恋

      

     
     君と歩くお堀端
     もう何度目だろうこうして手をつなぐのは

     わかっていることでもはっきり言っておきたい
     君が好きだ

     君はすこしうつむいたまま何もこたえなかった
     ただ細い指にちからがこめられた

     抱きしめたとき君のからだがふるえていた
     夕日で紅く染まった君の顔
     
     夏の日の恋
     いくつもの季節をこえたふたり

     この夏は一人で歩く城山



    恋の季節 ぼくたちの恋





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    ああ夏休み ② 通知表



    ああ夏休み ② 通知表

     
     通知表はそれぞれの学期で出されるたので夏休みだけが特別というわけではないが、こんなトピックでもない限り機会もないだろうから忘れないうちに書いておこう。

     あたしの時代は1学年から6学年まですべて5段階方式だった。5が最高で3が普通というような見方だった。

     終業式の日に順番にもらうのだが、内容についてとりたてて心配することはなかった。なぜなら小学校の時代はまだ神童だったのでテストの成績でどのくらいの評価がつくか想像できていた。
     
     たいていの学期で通知表の評価は体育と図工が4、そしてあとは例外なく5だった。学年によってはたまに図工が3のときもあったくらいで、あとは予定通りという冷め方であった。
     
     ある意味、お坊ちゃまは早熟な悪ガキでもあった。
     好きでもない教科の時は腹や頭が痛いと言って保健室で昼寝をした。授業が終わるまで寝ていて担任のバイクで送ってもらう、そんなことが少なくなかった。
     学校から歩けば1時間はかかる距離、バイクなら10分ほどで帰宅できた。
     こんな悪ガキでも6年間の皆勤賞だった。まさしく神技。

     通知表。
     忘れられないのは3学年の夏休み。
     担任は町から来た女性教師だった。夫婦で着任し、たしかご主人は中学校の先生だったと思う。
     その時の通知表が人生で後にも先にも一度きりのいわゆるオール5だった。体育や図工までもが5だったのはあのときだけだ。

     毎学期末の通知表を本人より誰より待っていたのは母だった。
     通知表を受け取った母はざっとみていつもおなじだが特別にほめるわけでもなく、体育や図工が3や4である理由を問いただすわけでもなかった。
     母親はただ通知表を神棚に供え、そして言った、
    「神様や八幡様にお礼を言っときなさい。お前を守ってくれてるのだからね」

     思うに、宗教宗派を問わず神仏にたいし手を合せこうべを垂れるという習性はこのころに培われたものだろう。

     大自然に囲われた里には至るところに神が宿りそのいずれもが人々の生活に深くかかわりを持っていた。

     道端にある小さな祠は庚申さまであり、家内になにか失せ物が出た場合には庚申様をワラで縛っておくとありかを告げてくれると信じられていた。

     似たような祠が里のあちこちに点在し、いまでも目を閉じると、自宅から小学校までの道沿い、どこに祠があったか思い出すことができる。

     また、深い渓谷の向かいの山肌、おおきく平たい岩が露出している場所、それは天狗岩と呼ばれ、今も天狗が棲み里の生活を見守っているのだと教えられた。

     ああ夏休み
     毎日の楽しい記憶
     いまだそこまでたどりつかず
     ああ夏休み



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    ああ夏休み その① 小学校


    ああ夏休み その①


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     日本の学校はすでに夏休みに入っていると思う。
     今の小学校はどうなのか知る由もないが、あたしがまだノラ公ではなく貧乏人のお坊ちゃまだったころの話。

     あの時代には夏休みといえば宿題があって夏の友とかなんとかの問題集と絵日記などがあった。
     まだ神童と村里の人々が誤解していた頃であり、その気になった少年には宿題は夏の楽しみのひとつでもあった。

     毎朝、涼しいうちに机に向かい宿題を開き、ドリルのようなものは夏休みになって一週間ほどですべて片付けてしまった。

     絵日記だけは日々の出来事を綴らねばならず若干の日数を要したものの、それもおおよその予定で書きあげていた。
     とはいえ、なぜかあの頃、自宅に温度計などがあって母の命令で絵日記にその日の天気と気温だけは毎日せっせと記入した記憶がある。

     山村の小学校。
     夏休みには移動図書館と称して学校から離れた場所にある我が家には先生がたくさんの本を運んできていた。近在の子供たちが借りるためであったが実際に学校の本を読もうとする子供は記憶にある限り数えるほどしかいなかった。

     子供たちがやってくるのは読書とは名ばかりで、あたしの個人図書館である漫画本目当てだった。
     あの時代の子供雑誌にはたくさんの付録があり本棚には漫画の単行本などがたくさん並んでいた。

     ああ夏休み。

     ご多分に漏れずちい公坊ちゃまも昆虫採集をして標本を作った。
     これは何年か続いた夏休みの恒例行事だった。
     今になって思えばあれがなんの役に立つのかどうもよくわからないのだが、とにかくそこいらにいる虫を捕まえてはアルコール注射をし箱に並べた。
     
     しかし虫といっても数や種類は限られており、毎年のレギュラー被害者は、カミキリムシやカブトムシ、クワガタそしてトンボ各種、そんなものだった。

     ああ夏休み
     思い出の夏休み
     小学校、中学校、高校、大学
     各時代の夏休みを辿ってみよう
     なにか見つかるかもしれない
     いまもキラキラ輝いている
     宝物に出会えるかもしれない

     

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