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    つわものどもの夢

    日々のドキュメント 旅  アジア 
    10 /21 2018

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     アユタヤ日本人町跡。
     もう一度チャオプラヤーの畔に立った。

     川下に向かって荷物を積んだ船がゆっくり下ってゆく。シートの下は何が積まれているのか定かではないがおそらくタイランド湾まで出るのだろう。

     日本からの交易船もここにやってきた。1500年代後半から1600年代初期だからもう400年以上前のこと。

     日本人ちい公は川の畔でじっと水面を見つめたまま動かなかった。
     時の流れはすべてを消し去りアユタヤ遺跡のように歴史を感じさせる遺物はなにひとつない。変わらないのはゆったりと流れゆくチャオプラヤーだけ。

     人間の生のはかなさ、その存在のなんと小さきことか。
     それでも明日を夢みておのれの未来を信じつづけようとするそれが人間。

     様々な日本人が命を賭してここまでやってきた。あるものは商人として一獲千金を、またあるものは武士としてしか生きられぬ我が身の置き所を探す旅だったのかもしれない。徳川政権が安定期を迎えたころ、武道はもはや精神的な支柱でしかなく実際に刃を交える戦はもうなかった。

     耳を澄ますとなにか聞こえた。
     思わずあたりを見回す。
     陽はとうに中空を過ぎ西に落ちはじめている。

     笑いさんざめくのは、もしかしたらあれは日本語ではないのか。
     この川岸にあった日本人たちの小さな町がかげろうのように浮かんで見えたようなそんな気がした。



    アユタヤ日本人町跡にて タイ人とうどんとたこ焼き 

    日々のドキュメント 旅  アジア 
    10 /20 2018

    「ちいさん、うどんができたよ~」
     川べりに立っていたあたしを呼ぶ声。


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     うどん。
     サイズこそ小さいが日本の立ち食いで食べられるようなうどん、天ぷらが入っていれば少々出汁がまずくても食べられる。可もなく不可もなく。

     なぜかあたしの周りにいるタイ人たちはうどんが好きではない。うどん出汁の淡白さだろうかそれとも麺そのものに味が絡んでいないことが原因なのかよくわからない。

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     今日のみんなはたこ焼きが美味しいという。
     試しに一つ食べてみたが、これはなかなかで合格点。イカではなくほんとのタコが入っていて驚いた。さすが日本人町跡公園。
     うちの魔女はお好み焼き、これも美味しかったようだ。

     話をうどんに戻す。
     そもそもそばなど麺類を食べるとき日本人なら多少の音は出してもよいというルールがある。
     ところがタイでは、幼少期から教えられているのは麺類を食べるときもズルズルと音を立てるのはマナー違反。だからタイ風のラーメンなどでもスプーンと箸でチョロチョロと口に運ぶ。
     
     この日、久しぶりの天ぷらうどんをズルズルと一口ふたくち口に入れてからこのことを思いだした。
    「どう?おいしい?」
     みんなの注目を浴びながら食っていることに気づき、急いでスピードダウン。うどんを一本二本そろそろと口に入れる。旨いこともなんともありゃしない。
     ええい、めんどうだ。どう思われようが俺は日本人なんだ。うどんは音を立てて食うのだ。これでいいのだ。これが美味いのだ。

     しかし少し気になるので、
    「あのさ、日本人はねそばとかうどんを食べるときは音を立ててもよいのだからね」
     それを魔女奥ちゃまがみんなに説明している。

    「だいたいさ、タイでおかしいなと思うのはケンタッキーフライドチキンの食べ方もそうだ」
     言ってからしまったと気づいた。これはKFCと言わないとすぐに通じない。
    「KFCだよKFC。どうしてフライドチキンを手で食べないんだ。皿に置いたチキンをフォークとスプーンでチマチマと食べるんだよ。ありゃおかしいよ。フレンチじゃあるまいし、あんなものは手で食べればいいんだよ」
    「それはタイのマナーなのよ」
     そう言われてもあれだけはいまだに違和感を覚えるのだ。

     そんなこんなでうどんを食べたというお話でした。

     日本旅への出発も迫っているのだがあたしはまだここから動かないのです。 
     

    日本人町へやってきたタイ人たち

    日々のドキュメント 旅  アジア 
    10 /19 2018

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     タイで生まれ育ったタイ人だからといっても、みんながみんなアユタヤの歴史を知っているわけではないのはもちろん、その地名くらいしかわかっていない人も少なくない。

     今回一緒の女性たちも似たようなもので、アユタヤといって想いうかべるのは名物の甘いクレープ菓子ローティサイマイと、せいぜい古い都ということくらいだろう。

     今日運転してくれているトーちゃんはさすがにあちこち仕事で移動しているので日本人町跡についても、どこにあるかはわかっていた。
    「あのー、えーっと」
     変な日本語を連発しながらやってきた。

     駐車場に車を入れる。
     また料金が要るのかとおもいきやそこはフリーだった。
     しかし係のおじさんがしっかり案内する。
    「そこの窓口で入場券買ってね」
     だろうね。ただで入らせるわけはない。

     魔女の背後で窓口のやり取りをながめる。また外国人料金なのかと思ったが、さすがというかなんというか日本人町、タイ人もみんな同じ料金50バーツだった。
    「でも高いわね」
     魔女奥さんがブツブツ。
     中の係員が、
    「日本人はいますか?」
     すると魔女奥さんがすばやく反応する、
    「いるわよ日本人。どうして? 日本人ただになるの?」
     勢い込んで聞いたが、残念。差し出されたのは日本語で書かれたパンフだった。
    「なあんだ」
     窓口の係員に向かってあからさまに口を尖らす魔女さん、すごいというかなんというか、あたしにゃとても真似はできまへん。
     奥でエライさんみたいな女性が口を押えて笑っていた。

     まずみんなで入り口近くの資料館でVTR鑑賞。
     これでだいたいのことは理解できたはずだ。昨日も書いたように凸版印刷が制作したVR方式のビデオ、画像が美しくわかりやすくよいできだった。

     約10分ほどのビデオを観て外へ。
     あとは川べりに面して公園みたいなものだ。
     
    「小さいね。これだけ?」
     誰かがつぶやく。
     そりゃそうだろ。さっき観たのは当時の再現Vだよ。あの広い町がそのままあるわけもなかろう。

     しらけはじめた空気の中、全員が元気になった。原因は食い物しかない。
     日本のたこ焼きを売っている屋台があったのだ。

     たこ焼きにお好み焼きこれはジャパニーズピザと説明されている。
    「ちいさんはなにしますか?」
     みんなはたこ焼き、そして魔女奥さんはお好み焼き。

     小さな鉢のうどんの写真。天ぷらうどんらしい。
    「あたしはうどん」
     久しぶりだなうどん。
     バンコクにいるならマックスバリューに行けばだいたいの日本食は手に入るが今はアユタヤそれも僻地。

     今日天ぷらうどんを食わずしてなんとする。
     それでもお主はアユタヤの日本人町へ足を踏み入れたと口外できるのか。
     
     なんのことだかよくわからなくなってきた。

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     できるのを待つ間あたしは一人川べりに歩いた
     山田長政の像。おそらく日泰協会云々が寄付金を募って建てたのだろう。

     結局は力を持ちすぎたことで長政は殺され、そして日本人町も破壊されてしまった。
     しかしどの説明書きにも日本人町が時の王朝によって破壊されたとは述べていなく、衰退は徳川幕府による朱印船の廃止などが原因と書いているものもある。
     
     まあいいではないか。
     歴史は権力者によって創造され書き換えられもする。歴史として残されているものが真実であることは往々にしてないし、事実と真実は違うものだ。

     公園の前をチャオプラヤー川がバンコクに向かってゆっくり流れている。
     岸辺に立って川面を眺めそして空を見た。

    「うどんができたよ~」
     遠くから大声。

    ああ、このつづきはうどんを食べてからにしよう。


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    アユタヤ日本人町跡 現在

    日々のドキュメント 旅  アジア 
    10 /18 2018

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     チャオプラヤー川畔の跡地に小さな公園が出来ていることはすでに知っていた。

     日本系の旅行会社などがツアー立ち寄り地に選んでいることもありアユタヤ観光のついでに立ち寄った方も多いだろう。

     日本人村あるいは町があったからといって特別な史跡が残っているわけでもなく、小さな資料館があって川のそばには山田長政の像が立てられているだけ。

     ただあえてお薦めするなら入り口に近い方の資料館で上映されているアユタヤ日本人町の歴史VTRだろう。凸版印刷が制作したバーチャルリアリティ(VR)システム。画像も美しくよくわかる作り方になっている。

     何度も言うが、アユタヤ歴史地区はボロボロになっているとはいえ寺院遺跡が点在していて好きな方には見ごたえもあるが、日本人村跡地は町内にある小さな公園だと思っていれば落胆もしない。観光地だと思って足を運ばないこと。
     
     要はここに足を運び、すぐ前を流れるチャオプラヤー川を目にしてなにを想うか、それが大切なんじゃないかとあたしは思うのだが・・・。

     明日は、ここにやってきた日本人とタイ人の混成チームの様子をお笑いドキュメントでお届けしましょう。


    川のほとりに山田長政像

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    アユタヤ日本人町 ①

    日々のドキュメント 旅  アジア 
    10 /17 2018

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     タイ・アユタヤといえば山田長政。日本人にはどうしてもこのように結びつく。

     山田長政は現在の静岡県出身だということで静岡市では今でも長政まつりが行われている。
     静岡県民ならずとも山田長政を英雄としてとらえる日本人は多い。

     徳川の時代、朱印船で当時のシャムに渡った長政はシャムアユタヤ王朝の日本人傭兵隊に加わり数々の戦功により官位を得、アユタヤ郊外チャオプラヤーの畔に出来た日本人集落の長としても力をつけていった。

     数々の物語や伝説があって、その真偽が定かでないものが多い。何代目かのアユタヤ王朝の王女と結婚したとかの話もあるがこれらを裏付けるタイの資料も見つかっていないという。

     しかし実力者に成り上がったというのは事実であると思われ、最後はその手法はともかく王朝側によって毒殺されたとされているのもまちがいではないだろう。
     要するに王朝にとってあるときは頼もしい戦力であったが、力を持ちすぎたために逆に疎まれる結果となったといってよいだろう。

     アユタヤ日本人町に話を戻す。
     貿易でやってきた日本人が集まって集落をつくりそれが大きくなり一時は2000人を超えるまでに発展していった。


    凸版印刷制作の復元VRより
    アユタヤ日本人町

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     もう20年も昔になるだろう、なにかの本で読んでいた山田長政のことが気になって、たまたまタイに滞在していたこともありアユタヤまで足を延ばした。

     もちろん日本人町の跡を訪ねるつもりだった。
     しかしそれがなかなか見つからなかった。プロのガイドを雇ったわけでもなく歴史なんぞとはまるきり無縁のタイ風焼肉屋が一緒だった。
     
     あちこちで尋ねまわりようやくたどり着いたチャオプラヤー川の畔。
     なんにもない草むらでよくよくみれば日本の誰かが立てたのであろう日本人町の跡とかかれた木が一本。
     
     まあ、そりゃそんなもんだろうな。
     当時アユタヤはすでに日本人にも人気の観光地だったが、山田長政そして日本人町の跡にそれほど需要はなくて当然かもしれなかった。

     まあそりゃそうだろう。
     タイへ来る観光客はなにも日本人だけじゃないのだから、アユタヤに小さな日本人集落があったといって、とりたててそれをメモリアルパークにしておく必要もないだろう。

     そう思いながらも心のどこかでは落胆している自分がいたこともたしかだ。
     日本人が思うほど山田長政は有名でも英雄でもなかったのかもしれん、そんなことも考えながら、満々と水をたたえたチャオプラヤー川をぼんやり見ていた。

     あれはまだ2000年にもなっていない頃、雨季で毎日のように雨が降っていた。
     


    アユタヤ移動中

    日々のドキュメント 旅  アジア 
    10 /16 2018

     アユタヤで移動中の車内。
     女性3人そして男が2人。
     
     女性はにぎやかだ。ちょっとしたことをしゃべっては大笑いする。
     あたしとしては彼女たちが話している内容のほとんどはわかるのだが、それでもそんなに面白いのと思ってしまうようなことで大笑いしている。

     あとで考えてみれば、あの日はそれだけみんな楽しかったんだなとわかるのだけど。

     ここですこし雰囲気を変えて女性それぞれの笑い方を観察しました。

     まずこのなかでいちばん若くてデカジョのアムちゃんは、見かけどおり屈託のない明るい笑い声。何にでも反応して笑うかと思いきや案外そうでもない。

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     そして今日われわれを運んでくれているご夫婦、奥さんはネンちゃん。彼女もアムちゃんと同じ30代。
     特徴のある笑い方。
     顔を見ないで聞いていると、ケケケケと笑っているようなそれでいて小学校低学年の女の子が笑っているような声を出す。なのでケケケケをヘへへへと置き換えてもよいのだが、とにかく可愛く感じられる声で笑う。
     全く女性ちゅうものはわからんのでござる。

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     そして真打、魔女奥さんです。
     ほんとにこの日は楽しかったのだろう。どんな話にも反応しよく笑った。
     その笑い声がなんとも豪快で『ワッハッハー』とマンガなどで表現される笑い声だが、まさしくこれだった。
    「ワッハッハー、ギャハハハー」
     亭主としてはすこし驚いた。
     ほんとに楽しい時はこんな笑い声を出すのだなとあらためて思った。

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     運転してくれているトーちゃん。
     彼がときおりボソッとつぶやく、
    「アノー、アノー、ハイハイ」
    「なんだよそれ」
    「パーサーイープン、カップ(日本語ですよ)」
     聞けばバンコクからアユタヤにかけては日本企業が多く、駐在員と接する機会があって、なかのある会社の所長クラスの日本人の物真似だそうな。
     その日本人はなにか言うたびに日本語で「あの、あのう」とか「ハイ」を連発するんだとか。

     車内は「アノー」でまた盛り上がる。
    「そんなこと言ってもタイ語にも同じような言葉があるじゃないか、クーとかタワーとか、言葉が詰まったときに言うじゃんか」
     あたしのヘンな発音のタイ語でみんなはまた大笑い。

     あれから今になっても、我が家では何か言うたびに「アノー」がオチになっている。
     これがまた魔女奥さんにはうける。どうしてだかわからないが「アノー」と言えばうけるのだ。
     こんなにうけてもらっては芸人の腕がなまるってもんです。


    アユタヤの歴史にみるタイ人気質

    日々のドキュメント 旅  アジア 
    10 /15 2018

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    遺跡群の横をチャオプラヤー川
    ゆっくりとバンコクへ向かって


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    美女は何をおもう
    ああソムタム食べたい
    お願い、振り向かないで!!




     アユタヤから北、タイ中央部にはスコータイ遺跡がある。
     アユタヤ王朝が隆盛を極めるまで栄えたが内紛やアユタヤとの戦いで衰退していった王朝。

     スコータイもアユタヤも遺跡が点在し、じっくり観察しようとすれば1日では物足りない。

    アユタヤで多くの観光客を集めている寺院遺跡・
    Wat Chai Wattanaram (ワット・チャイ ワッタナラム)については昨日その理由などについてふれた。


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     アユタヤの遺跡群、仏像にはほとんど首から上がない。
     ビルマ軍に徹底的に破壊された痕跡である。

     以前日本人が書いたものを読んでいて、アユタヤの歴史を考えればタイ人がビルマ、今のミャンマーに対してよい感情を持ってないというのもうなずける、というような記述があった。

     まったくの机上の空想でしかない文章だった。
     今回アユタヤを訪れたのを機に同行者はもちろん遺跡に来ていたタイ人の何人かに同じインタビューを試みた。

     約半数の人々はアユタヤ王朝がビルマ軍に滅ぼされたことを知っていた。だがそれもこの地へ来て説明文を読んだからというものがほとんど。
    しかし現代人としてミャンマーに対してはどのような感情を抱いているかと問えば、
    『いまはたくさんミャンマー人もタイへ来て働いているし国同士の関係もよいから、そんな昔の歴史は関係ない』
     これが一般的な答えだった。争いごとを好まぬタイ人らしい答えともいえる。

     大学も出て比較的ちゃんとした教育を受けている後輩アムちゃんに言わせると、
    『過去の歴史はもう歴史なの。それを引きずって憎しみあうなんて何があるかといえば不幸がのこるだけでしょう。未来へ向かうためには憎しみなんて必要ないと思う』

     またうちの魔女さんに言わせると、
    『歴史の時間に高校で習ったくらいだから何も感じないわね。ミャンマー人だってたくさんタイに来ているし。だいたい大学では経営学を専攻したから歴史は苦手だわ』
     ということで話にもならなかった。

     しかし人々の意見を聞いているうちに、そうだろうな、さもありなん、とあたしは思った。

     クウェー川(クワイ川)に代表される大戦中の日本帝国軍の暴挙は誰でも知っているし、またタイ国内においても東北部まで日本軍が進駐していた。
     当時を知る老人がいみじくも話してくれた。
    「わしはまだ子供だったが日本軍が来たときはほんとに怖かった。とくに何をされたということはなかったのだが、これは噂だったのかも知らんが、女は犯され牛や豚は盗まれるという話はたくさん聞いた」

     しかしだからといって現代タイの人々が日本人を毛嫌いしているかといえばけっしてそうではない。それは拙ブログをお読みいただいている読者の皆様もよくおわかりのことだと思う。

     タイを表現する言葉【マイペンライ】
     いいよ、なにがあっても、どうにかなるさ、気にしない気にしない、そんな感じだろうか。
     鷹揚なのだ。
     それはこの広大な大地がはぐくんできた大らかさともいえるだろう。

     いつまでも先の大戦の出来事を都合よく解釈し錦の御旗の如く振り回すどこかの半島のちっこい国とは大きくちがうのだ。

     そもそも人間としての容量がちがってみえるのはあたしだけか。
     

    アユタヤで人気絶頂の寺院遺跡

    日々のドキュメント 旅  アジア 
    10 /14 2018

     アユタヤ王朝(1351年~1767年)は隣国ビルマ(現ミャンマー)の度重なる攻撃により滅び、華麗を極めた数々の仏教寺院もことごとく破壊された。
     遺跡のあちこちで目にする首のない仏像がビルマ軍の破壊の跡として象徴的に残されている。

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     アユタヤで沸騰中の寺院遺跡
     Wat Chai Wattanaram (ワット・チャイ ワッタナラム)

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     アユタヤ時代の恋を描いたテレビドラマの舞台となり、そのドラマが大ヒットしたことでこの遺跡にタイの人々が集中するようになった。
     ※参考 ブログ 魔女の手紙・タイランド


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    ドラマで使用されたCG復元
    この遺跡でも撮影された



     付近の土産物屋にはドラマでも使われたアユタヤ時代の衣装をレンタルする店が軒を連ね。老いも若きも小さな子供までアユタヤ時代の扮装でこの寺院遺跡で写真を撮っている。
     レンタルは驚きの安さでなんと100バーツ(350円ほど)。

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     この光景をながめながら、どこかで見た景色だと思い、すぐにわかった。
     京都だ、レンタルの浴衣や着物を着て闊歩する白人からアジア人まで、嵐山そして四条、八坂あたりの景色と変わりない。

     そういえばこれをお読みただいている今、魔女ファミリーは日本滞在中。この数日後には姪っ子ミルキーが京都四条から八坂神社あたりを着物で歩いているはずだ。
     どんなにかわいく変身するかおじちゃんは楽しみでもあるのだ。

     話がそれた。
     この遺跡 Wat Chai Wattanaram (ワット・チャイ ワッタナラム)についてはもう少し続けるのであとは明日です。

     

    バンパイン宮殿にて

    日々のドキュメント 旅  アジア 
    10 /13 2018

     宮殿入口へやってきた。
     トーちゃんがボソッと言う。
    「チイコーさんタイ語でしゃべってね」

     なんのことかすぐにわかった。

     入場料金だ。

     タイではほとんどの観光施設で外国人だけに特別料金が設けられている。
     バカ高いのはバンコクの王宮ワットプラケォ。なんと外国人は500バーツ。現行レートだと1700円もするのだ。当たり前というかタイ人は無料。

     バンパイン宮殿は外国人100バーツ、タイ人30バーツ、しかしタイの人々にとってもちろんあたくしにも70バーツの違いは大きい、
     一人がまとめて5枚のチケットを買い素知らぬ顔で入場する。

     自慢じゃないが、タイ人、外国人の料金区別のある場所で長いこと外人料金など払ったことがない。
     コツは堂々としていること。当たり前の顔をして入ってゆくことだけだ。
     
     ときに場所によってはセキュリティが何人かいてじろじろ見ているような気もするが“おい、おいらにいちゃもんをつけたらうるさいぞ”というオーラを放っておくと何も言われない。

     どうしてこんな細かいことにこだわるのかと、けち臭く思われるかもしれないがあたくしは束の間の旅行者ではなく無駄にお金を落としてゆくことなどできないのであって、それでなくともビザやなんだかんだとタイ政府にはお金を使っているのであるからせめてこんな場所の入場料金くらいタイ人と同じにせよと思うのだ。

     そんなことでワイワイ言いながら園内へ。
     ゴルフカートを借りれば400バーツだという。あたしに言わせれば『バカじゃないの』ということ。

     こういう場所はゆっくり歩きながらその時代に思いをはせる、それが大切なので、ただ美しい建物と景色を眺めてよしとするならばネットにたくさんある写真を眺めていればよい。


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     しかし、何処の地でも時の権力者はたいしたものだ。
     奈良東大寺、京都金閣寺、大阪城もマハラジャ宮殿もしかり。

     池の中に建てられた塔。
     息を切らしながら上まで登った。
     離宮全体が見渡せる。

    「なんのためにこんな塔をつくったのかな」
    「星を見るためじゃない」
     それが魔女さんの答えだった。
    「それより、あなた先に下へ降りて、下からわたしの写真を撮ってくださいな」
     興味はそちらだったのかい。



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    こうして姫は数百年の間、塔に幽閉され
    怖いこわい魔女になったのでした


     




    さあバンパイン宮殿へ のはずだけど

    日々のドキュメント 旅  アジア 
    10 /12 2018

     中州からまたゴンドラで戻ってくる。
     さあいよいよつぎは宮殿だ。

     川べりに店が出ている。
     お寺のある対岸ということもあり花とかバナナなど農産品が多い。

     あちこち帽子の店が多い。
     今日も暑い。
     ちょうど前日に魔女バーバーで坊主にしたばかりで皿に直火がきつい。
     みんなにのせられるようにして帽子を買った。

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    ~壁ぎわに寝がえりうって
     背中できいている
     やっぱりお前は出てゆくんだな~

     口ずさんでみたが誰もわかっちゃいない。

     そんなことよりアムちゃんが買った白いハット、前に書いてあるのがTHAILND。
    「あんたはどこからきたんだよ、Thaiがめずらしいのか」
    「私はアメリカからよ」
    「身長だけはそうかもしれんが、顔をよく見たらタイの田舎もんだな」
    「もう!」

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    ちい公

    ようこそ! 
    空ゆく雲のようにいつも自由でありたい。もとノラのちい公がお届けするごく私的な日常と愛する国そして人々への思い