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    ちい公ドキュメントな日々

    アジアの風をいっぱいに受け 雲のように日々を・・・・

    ライオン・エア墜落


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     12月中旬のバンコク行きを抑えた。
     もちろんいつものように格安LCCのビジネス。LCCでない航空会社のビジネスに乗るなんてことはスポンサーでもいない限りあたしには無理だ。経費を使ってビジネスに乗れる身分になりたい。

     そんなところへ飛び込んできた航空機事故。LCCと聞いてギョッとした。

     インドネシアの格安航空(以下LCCと記載)ライオン・エアがスカルノ・ハッタ国際空港を離陸してから10数分で海に堕ちた。
     乗員8人と乗客181人(大人178人、子供3人)が搭乗していたが10月30日午前2時現在機体そのものは発見されておらず生存が絶望視されている。

     当該航空会社はこれまでにも数度にわたって問題あるいは事故を起こしており、個人的な意見としては乗りたくない会社のひとつだった。
     タイにもバンコク・ドンムアン空港を拠点とするタイ・ライオンエアがあって国内、国際線を飛ばしている。これはインドネシアとは別会社であるけれども、これも私的感想としてはLCCだからといって何にでも飛びついてよいわけではない。

     これまでに起きた事故の原因をみると操縦ミスあるいは機体の整備に問題があったのではないかと思わせる事象が読み取れる。

     以下は個人的見解である。
     LCCならではの機体使用、何を指すかといえばLCCはどうしても保有機材が潤沢ではなく、そのわりにフライトスケジュールが詰まり、結果として整備などに割く時間が削られてしまうのではないかという推察が成立する。
     また本国における整備スタッフあるいは操縦士についてもその技量が信頼するに足るものであるかどうか疑わしい。

     EUに乗り入れできない航空会社、いわゆるブラックリストがある。主な点は安全面での信頼が得られるかどうかだ。
     最新版によるとこれまでリストアップされていたインドネシア籍の大部分の航空会社が今年は外された。
     ライオン・エアもリストから除外され、今後はヨーロッパ線の開設もと意気込んでいたが、その希望を砕くことになるであろう今回の事故だった。

     機体のオーバーワークかと思ったが、今回の事故機は本年8月に納入されたばかりのボーイング737 MAX 8、まだ800時間程度の飛行しかなかった。
     離陸後1500メートルほど上がったところで上下を繰り返してパイロットは空港へ引き返したい旨の通信を行ったとされている。
     機材の問題なのかそれとも人的トラブルがあったのかは目下のところ不明。

     機体が沈んでいると思われる海は水深も35メートルほどだというからフライトレコーダーが回収されれると解明は一気に進むだろう。

     ついでに、
     航空会社の格付け調査を行うスカイトラックス発表の今年の世界ランキング、トップ10までを。

    1位:シンガポール航空
    2位:カタール航空
    3位:全日空(ANA)
    4位:エミレーツ航空
    5位:エバー航空
    6位:キャセイパシフィック航空
    7位:ルフトハンザ航空
    8位:海南航空
    9位:ガルーダ・インドネシア航空
    10位:タイ国際航空

     日航は13位。
     20位までにLCCは1社も入っていない。
     それはそうだろう。エコノミーは座席も狭く食事も有料がほとんどで旨くもないだろう。
     これは自慢じゃないが、あたしはLCCのエコノミーは乗ったことがない、閉所恐怖症の気配があるので多分がまんできないと思われる。普通のエコノミーでも通路側でないかぎりまず無理なのだ。


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    魔女はタイでも大騒ぎ




     今日はタイの話をしましょう。

     日本から戻った魔女奥さんは元気にオフィスで頑張っています。実際頑張っているかどうかは知らないけれど、楽しくやっているようです。

     いま彼女が通っている場所は広大な敷地に工場、倉庫などが点在している。
     毎朝、太陽が顔を出す前に彼女は運動不足を補うために敷地内をウォーキングしている。普通に歩いても30分はかかるという。

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     別のセクションなどへ行くときはほとんど歩かずカートを使う。
     総体的にタイ人は歩かない。ただのずぼらかなと昔は思ったが、太陽が出ている日中は歩くと危険な場合もある。

    カートで[1]

     ランチタイム。
     キャンティーンと呼ばれる社食、いってみればフードコートがある。
    「アム行くわよ」
     後輩に声をかけカートに乗る。
     500メートルほどの距離、歩いても7,8分だが女性は日焼けも気にしなくてはならない。

     食事をすませてオフィスに戻るときだった。あと半分ほどの距離まで来たとき、カートのスピードがダウンしてきた。
     いくら踏みこんでもスピードが上がらない。
    「アム、大変だわ」
    「なになにどうしたの?」
    「多分バッテリーよ」
    「お姉さんチャージしてないの?」
    「だって知らないものチャージの仕方なんて」
     
     それでも惰性かどうかカートはノロノロと動き自分たちのオフィス近くまで戻ってきた。
     しかしそこからが問題だった。スロープを上る必要がある。

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    「アム、降りて押しなさい」
    「オーケー」
     可哀そうな後輩は炎天下の中カートの後ろへ。
    「ダメだわ、戻ってしまう、ガンバってアム!」
    「はーい」
     アムは必死に押している。
    「キャア上がらない。もっと押してっ!」
    「お姉さん、押してるよぉ、ギャぁ」

     二人が大声で騒いでいる、その後方をバイクに乗ったクリーニングのメイドが笑いながら通り過ぎる。

    「なんだよ、助けてって言えばよかったのに」
     あたしが聞いた。
    「だって恥ずかしいでしょ」
    「そんな場合か」
    「彼女はきっと私たちが遊んでいると思ったのかも」
    「で結局どうなったんだよ」
    「アムががんばってなんとか駐車スペースまで戻ったわ」

     アムが言ったそうな。
    「今日はもう午後から仕事にならないわ。ほんとに死ぬかと思った」
     
     バッテリーの充電方法くらい覚えとかないと、
    「いいのよ。男性従業員に頼んでおいたから」
     魔女はこたえていない。涼しい顔とはこんなことを指すのかもしれない。


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    海とドルフィンとミルキー


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     淡路島南端の町福良へ行く。
     お邪魔したおうちのご主人の車には全員乗れないのでバスで移動。

     海と山、絶妙のバランス、久しぶりにゆっくりと日本の景色を眺めた、なんとなく穏やかになっている自分に気づいた。

     福良の町からタクシーで15分ほど走った入り江にドルフィンファームがあって、そこではイルカと触れ合えるコースが設けられている。
     今回ミルキーの旅でのビッグイベントで、すでに予約済み。

     穏やかな天気。
     久しぶりに潮の香。
     
     大きないけすが二つあってそこでイルカがゆっくり泳いでいる。

    受付でミルキーに自分で名前を言いなさい、
    するとミルキーはものおじすることなく
    「My name is Milky.I want to play with dolphins」
    これがみんなに大うけ
    魔女おばちゃんは高笑い.。
    何もそこまで大声で笑うことはない
    ミルキーがキョトンとしていた

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     ここでの詳細は魔女ブログで掲載すると思うので割愛するが、ミルキーにとっては忘れられない思い出になったとおもう。

     ひとつだけ。
     予約した時間、イルカとふれあう前に簡単な講習がある。
     英語でとお願いしていたが、いちおう通訳であたしがミルキーの隣に座り、イルカとはなんぞやというところから話を聞いた。
     今日遊んでくれるのは二頭のイルカ。
     それぞれ種類は違うらしいが細かいことはメモもしなかったがたしか一頭はイチゴちゃんだった。

     若いお兄さんが一生懸命に英語で説明してくれた。日本語英語だが簡単な言葉なのでミルキーにはなんの問題もなく理解できたようだ。
    「えーこのイルカの長さはですね」
     もちろん英語でのお話。
    「スリーメーターハチジュッセンチです」
     ここでツッコミを入れなくては旅芸人の恥。
    「なんだよそれ、スリーメーターでハチジュッセンチかい」
    「あっ、すみません、スリーメーターと、え~エイティセンチメートルです」
     またまたそこでみんな大ウケというお話。


    事前講習の前しばらく訓練を見学
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    “おや? おみゃあは人間とは違う臭いがする”
    バカ! 大きな声で吠えるんじゃない
    あたしの前身に気づくとは
    おバカ顔のわりに鋭い奴だ

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    朝からウケる「あのう」「え~と」


     二日目は淡路島へ。今夜はこの島で一泊。
     高速バスは朝の7時50分。
     駅前広場で妹たちがホテルからやってくるのを待つ、午前6時。
     半袖ではすこし涼しく上着をはおれば歩いたときにすぐ汗ばむ。微妙な季節。
     
     隣で座っていた妻がとつぜんクスクス笑いだした。体を震わせている。
    「どうした?」
     問いかけに妻は笑いをこらえながら数メートル先を指さした。

     原因はすぐわかった。
     ダークスーツのサラリーマン風の男性が電話でしゃべっていた。
    「はいそうです、いえ、それはえーと、あのうですね午前中にですね」
     なにか約束の時間を話しているようだ。
    「あのう、それはですね、先日お話してると思うんですが。えーと、なんでしたら私のほうでもう一度確認しまして、あのう、詳しいことは再度ご連絡しますので、あのう、そのままでお待ちいただけますでしょうか。えーと、そうですね、はいはい、よろしくお願いいたします」

     妻の笑いはしばらく止まらなかった。
     つい先日アユタヤで車を運転してくれた友人の夫トーちゃんの日本人物まねそのままだったのだ。

    「あのう」と「え~と」そして「ハイハイ」
     どうしてこんなにウケるのかよくわからないが、あれからふたたび「あのう」と「え~と」は我らの流行り言葉になってしまった。
     なにか返事に困ったときに使う。
     これだけでウケるのだから旅芸人としては楽なものだ。

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     やがてやってきたミルキーたちと合流し高速バス乗り場まで電車移動。
     それから定時出発の高速バス、穏やかな秋晴れのなか淡路島に無事到着。

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     まず寄ったのは国生みの伝説淡路島ならではのお宅、神々の子孫の家。
     おだやかであたたかいまるで今日の日のようなご夫妻が多くの猫と暮らしている。
     ミルキーが楽しみにしていたおうち。
      妻にとっては一年にいちど帰ってくる実家のようになってしまった。魔女に目をつけられたお宅には迷惑かもしれないがあきらめてもらうしかない。

     奥様が出迎えてくれた。
     ご主人は日曜だが最近あちこちに出没して農作物に被害を与えるイノシシの対策会議でお留守だった。
    「お昼までには戻ると思うけど、さきにこれよかったらどうぞ」
     大勢で押しかけたあたしたちに奥様が用意してくれていたおにぎりなどがテーブルに並ぶ。
     美味しかった。
     久しぶりに美味いコメを食べたような気がした。それもそのはずでご主人が今年作った新米だった。
    「親ができなくなったので見よう見真似でやってみたんですよ」
     あとから帰ってきたご主人が話してくれた。

     美味しいものに国境はない。
     なんとうちの魔女奥さんはおにぎりを六個も平らげた。
     日本へ行ったらダイエットなんか気にしないとは聞いていたが、あんな小さな体でまさかこれだけ食べられるとは思わなかった。タイへ戻って女相撲でも開催するのではとすこし気になった。
     


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    チビッ子のNegotiation skill


    メルちゃん01


     一日目の夜。
     夕食を終えて彼らのホテル近くまで戻ったとき、これから人形を見に行きたいという。
     これは事前にオーダーされていた予定。

     子供たちの間で人気の人形メルちゃんを日本で買うのだという。バンコクで買うと数倍の値がついているものもあるらしい。もちろんミルキーの注文。

     チェーンの家電量販店にキッズコーナーがあってそこでメルちゃんも売っている。
     午後8時過ぎ、買い物する時間はある。
     駅裏のその店までまたみんなでぞろぞろ歩く。
     睡眠不足の上、かなり歩き、あたしもそうだがみんな疲れているが子供には弱い大人たち、おじさんもなにも文句は言えずトコトコ。

     目的のコーナーはすぐに見つかった。ミルキーはもちろんお友達からも買ってきてほしいと頼まれており親はあれこれ選ぶのに大忙し。

     ミルキー自身は自分のほしいメルちゃんはすぐに確保。それがすむと今度はすぐ近くのメルちゃんグッズを物色しだした。
     もちろんあたしは知らなかったのだがこのような人形は本体だけでなくその他様々な付属品、着替えセットだとかお食事セットなんていうものも別売になっているようだ。

     ミルキーはまず三つほど別売のセットを持ってママのところへ。このようなときパパは一切口出しせずほかの電気製品をながめている。これがこの家のスタイルらしい。
    「ママ、メルちゃん買うと、これがなくては」
    「ダメダメ、メルちゃんだけで我慢しなさい」
     ママはにべもない。
     強い口調で拒否されたミルキー。スッと別売セットのコーナーへ戻った。

     おや? 簡単にあきらめるのか?

     いやいやそんなわけはない。
     しばらく手に持った三つを見比べていたが一つだけ棚に戻しふたたびママのもとへ。
    「ママ、これとこれは絶対要るわ」
    「なに? いくらなの?」
     頼まれた人形選びに忙しいママはそれでもスマホでバーツに換算。
    「ダメよ。メルちゃんだけでいいでしょ」
     ミルキー、こんどはすこし不満そうにちょっと肩をすくめ、また戻る。

     あたしはニヤニヤしながらながめていた。
     そんなにほしければ買ってあげてもいいのだが、それこそ余計なお世話で教育方針に口出しはできない。
     感心するのはバンコクでもそうだがミルキーはデパートで一緒に買い物しても自分がほしいものを親が拒否したからといってけっしておじさんやおばさんにねだったりはしない。もしわたしたちが買ってあげるよと言っても親がOKしない限り買ってほしいとは言わない。それはいけないことだとわかっているのは親の教育なのだろう。

     さてミルキー。
     棚の前で二つの付属セットを持ったまましばらく考えているようだった。そしてゆっくりふたたびママのところへ。
    「ママ、これお食事セットよ、なにも食べないで生きてゆけないでしょ。このお着換えセットもなくてはいつも同じ洋服だわ」
     しかしママはまたもや「ノー」
     するとミルキー、棚へ一つだけ戻した。
    「ママ、これ。お食事セットだけ。最後だから、もうなにも要らないから。メルちゃんかわいそうでしょ」
     
     結局ママは最後のひとつの提案に、いちど計算してからしぶしぶオーケーしたのだった。

     最後まであきらめない、そして大きな声で駄々をこねるわけでもなく、静かな交渉だった。
     もしかしたらミルキーはこのひとつだけでも買ってもらえればもうけものくらいに考えていたのではとおじさんは思ってしまった。最初三つを持ってゆき次第に数を減らしてゆく交渉術はなかなかのものだ。

     ふと自分の幼いころを思い出してしまった。
     まだ小学校へ入る前の頃、町の店でみたカメラ。まっすぐ自分を見ているレンズ。それは、それまで持っていたジープのおもちゃなどとは比較にならないほどすごい宝物だった。
    「あれ買ってよ」
     まだ家の事情もわかってなかったのだ。もちろんそのカメラの値段など知らなかった。ただほしかった。
     挙句の果てはお店の前で座り込みグスグス泣いたことをまだ覚えている。

     そのことは後年、母が元気なころ思い出話にしていたくらいだ。
    「あんたは子供のころから高いものを欲しがって困ったもんだよ。贅沢なことを言うお坊ちゃんみたいな子供だった」

     ミルキーの時代。親はそれなりに頑張って稼いでいるがけっしてなんでもいいよと買い与えているわけでもない。

     ただチビッ子ミルキーの交渉に驚き感心した夜だった。


    メルちゃん02

    メルちゃん03

    メルちゃん04


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    旅のはじめ

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     新大阪駅で友人と会う妹たちを残し妻と二人でガラガラとバッグを引きずりながら倒れ荘に向かって歩く。
     久しぶりの旅で嬉しそうな妻。
     ほんの数日の休暇だが懐かしそうに歩く彼女を見ていると胸にこみあげてくるものがある。
     いつもそばにいる、そんな当たり前の日々が大切なのだとあらためて思う。

     いつもと違う道を歩く。
    「あとで一人で駅まで戻れるか」
    「大丈夫よ、目印になるコンビニなど覚えているから」
    「とにかく駅はあっちだから太陽の動く方向をみて東と西を見ておくことだ。だから北はあっちだよ」
     まるで砂漠を歩いているような話。そうだ都会は砂漠だ、あるいはジャングルかもしれない。

    「わあミニミニがあった」
     妻は仮住まいのことをこう呼ぶ。
     度重なる台風にも耐えて倒れ荘は立っていた。当たり前だが今年は例年と違いあちこちで大きな被害があった。

     日本の妹がときどき見回りに来てくれており部屋も問題はなかった。
     荷物を置いた妻は妹たちが待つ駅に戻った。

     掃除などをすませ午後になった。
     チェックイン可能な時刻になったので駅近くの民泊ホテルへ。
     タイのファミリーのために用意したホテルを見ておく必要があった。
     駅近くのホテルは3人ともなればかなり高額で比較的安い民泊ホテルをリザーブしていた。5泊で税込み6万ちかくになる。安いのかどうかなんともいえない。

     しかしおもしろい時代になったものだ。
     流行りのような民泊。
     マンションをホテル用に改装し、受付カウンターは無人。チェックインは備え付けのタブレットで通信する。部屋のキィは教えられた暗証番号で開くボックスにある。
     
     3階の部屋。
     2ベッド、キッチン、洗濯機など生活用品がすべてそろっている。機能的だともいえるがそれほど広くはない。しかし清潔そうで安心した。

     ホテルを出てタカ君Barberへ。
     戻るとまず顔を出す。恒例行事みたいなものだ。高齢のお母さんがいるのでそれも気になる。

     よかった、いつものように閑古鳥がうるさく鳴いていたが店も無事にあった。そしてお母さんもお元気なようだ。
     今回は妹たちも来るというので彼はお菓子を用意してくれていた。
    「滞在中に部屋で食べて」
    「ありがとう。でもここへ妹たちも連れてくるからそのときミルキーに渡してやってよ」
     チビッ子にはすこしでも多くいろんなものを見せてやりたいそして日本で会った人々のことも記憶にとどめおいてほしい。

     この日は夜の食事までひとりで過ごすことができた。
     嵐の前の静けさでもあった。
     



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    大忙しの旅 はじまるよ


     夕方5時前、外をを見ると迎えのタクシーが駐車場に来ている。
     あたしたちの姿を見てドライバーのMrパポップが車から出て手を振る。バンコクからアユタヤまで通常の迎車料金だけで来てくれた。なんともありがたいものだ。

    1012スワンナプウム空港 (1)


     ついでに書いておきましょう。
     バンコクへお越しの方にはGRABタクシーをお薦めする。ドライバーはよく教育され接客マナーもよくまずトラブルはないと言ってよい。
     なかでもパポップとその仲間は信頼できるので、読者にかぎりバンコクへお越しの節はご連絡いただければ手配いたします。
     チャーターも格安でかなりの無理を聞いてもらえるので安心。せっかくの旅を楽しい思い出にしていただきたい。

     そんなわけで夕日の中を車はバンコク・スワンナプーム空港へひた走り、アユタヤから約2時間かけて到着。タクシー代はチップも入れて800バーツ、2600円ほど。

     妹たちも同じGRABタクシー予約しており一足先に着いていた。
     並んでカップラーメンを食っているのには少し笑ったが、あたしたちも人のことは言えない。空港は高いからと妻の提案でおにぎりを作ってきたのだった。人の往来が多い場所でおにぎりもまるで地方から出てきた家族みたいだったが空腹でもありなかなか美味しかった。

    昔からあるドンムアン空港のほうが距離的に便利
    よほど安いフライトを見つけたとき以外
    スワンナプーム空港に来ることはない

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    おばちゃんと姪っ子 何を話してるんだろ
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     深夜12時前のフライト。
     贅沢に慣れてしまったお尻にエコノミーはきつかったが、これが普通なのだと言い聞かせながらほんの数十分眠っただけで、あとはまんじりともせず過ごした。

     午前6時30分到着。
     日本の朝は半そでシャツにはこたえた。長袖がなかった。
     妻たちは新大阪でバッグを預け大阪ミナミへ出かける。
     あたしは何度も襲来した台風で仮住まい倒れ荘が気になっていたのでみんなに同行はしなかったが日本に住んでいる義妹の友人が一緒に行ってくれ、魔女ブログにあるようにみんな楽しい時間を過ごしたようだ。

     このあと珍道中がはじまる。
     魔女ブログでおそらく日々の細かい出来事をつづってゆくと思うので、ここでは重複を避けて端折ったお話を書いてゆこうと考えています。


    空港へ向かう車内より撮った
    ただの田舎の風景です





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    金曜だ出発なのだ


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     妻たちが首をながくして待っていた日本旅。

     金曜日の深夜便で日本へ。
     我々は夕方5時ごろにアユタヤを出る予定。

     妻はオフィスを休み朝から旅行の荷物づくり。
     あたしの荷物といえばパソコンとちょっとした本や書類だけなのでショルダーに入ってしまう。
     何かの景品で手に入れたという少し大きくなったキャリーケースが奥ちゃまから支給されたが中はガラガラ。日本へのお土産入れになってしまった。

     妻や妹たちは待ちに待っていた旅行なので興奮しているようだ。
     あたしはすこし寂しい気分。

     これでまたしばらく帰ってこれない。日本に行けば行ったでやることがある。それをすますまではタイへもどれない。

    レジデンスにて (3)


     いつも騒々しいバンコクから静かなアユタヤ郊外へ来た。この静寂と快適さがすっかり気に入ってしまった。住まいも前よりは狭くなったが騒音がほとんどない。
     環境にも慣れ、さあこれからという時なのだが予定はどうしようもない。

    「さあ行くぞニッポン」
     声に出して言ってみるが寂しさを紛らす強がりのようにも思えひとりで照れる。
    「Okay Let's go Japan!!」
     妻も合わせて声を出すが、数日の旅が終われば再び離ればなれの生活が待っていることを分かっている。心底から喜べないお互いの気持ちをそれぞれが痛いほど理解している。

     しかし、だからといってこの旅を楽しい思い出にしないという手はない。なによりも妻はツィンズの妹と一緒にゆく初めての海外旅行となる。病気や別離などで厳しい幼少期を越えてきた二人には貴重な時間なのだ。
     彼女たちのためにも楽しく記憶に残る旅にしなくてはならないし、またそうであってほしい。

     今日も良い天気のアユタヤ。
     午後になるとなんにもやることがなくなってしまった。
    「昼寝する」
    「そうしなさい。わたしは洗濯物を片付けたりするからね」
     
     知らぬ間に眠ってしまった。
     そして夢を見た。
     たわいもない夢だったがなぜか妻が笑っていた。そしてその声が『ケケケっ』と聞こえたような気がした。

     ・・・うん?

     目を開けて天井を見回す。ヤモリだった。彼らは人間が静かになるとどこからともなくあらわれる。
    「チンチョ(ヤモリ)よ、あなたのお友達が挨拶してるわ、行ってらっしゃいって」

    「あっそうだ、言い忘れた。留守の間ベッドカバーを忘れないようにね。ヤモリがベッドの上を這いまわるかもしれん」
     二人が留守の間この部屋は彼らの天国になる。まあおかげで蚊やクモなどの虫がいなくなるのだからありがたく思わないと。

     どうもいかん。
     まだアユタヤを出ない。


    レジデンスにて (2)


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    みんなでブッフェ



     さあ今日はみんなで食事に行こう。
     今日は車でお世話になったしご馳走するつもりだ。
     どこへ行こうか。
     
     すぐに全員が一致したのはシーフードブッフェ。
     つい前日、ある方に連れてもらったレストランへ行くことにした。

     まだ明るいが夕方4時から開いているという。
     行ってみて驚いた。
     まだ開いたばかりだというのにさすが日曜日、席はあまり残っていなかった。休日にみんなで食事というのはいずこも同じ感覚。

     つい先ほど日本人町跡地でうどんを食べたばかりだが、ここでは食べないと。
     で、ビールも頼まず食べることに専念。
     といっても水とコーラなどは基本料金に含まれている。

     シーフードブッフェといっても、どんなものがあるのか記憶しているかぎり列記しておきましょう。

     焼くのはエビ、カニ、ブタ、牛肉、貝類など。網焼きのほかタイ風の焼肉鍋もあって周囲に水がはられているもの。野菜類もキノコなど豊富にあるがどうしてもお客は網で焼くエビに手が出るようだ。

     あとは中華風のダック、タイ風ブタの串焼きなどなど。デザートもフルーツからアイスまでたいていのものは揃っている。
     人気がある食べ物にはお客が列をつくっているのですぐにわかる。

     ご飯類はご存知の焼きめしからタイ風お粥など。

     この日食べた内容は先日アップしたのと変わりないのであれこれ書かず、写真にだけすこし説明を。


    シーフードブッフェ (7)

    山と積まれたカニ
    あたしは食べるのは面倒だけど
    シーフードブッフェ (2)

    エビ 手の長い種類
    これがどんどん運ばれてくる
    シーフードブッフェ (3)

    シーフードブッフェ (4)

    水槽には生きエビも
    これもご自由に
    シーフードブッフェ (5)

    シーフードブッフェ (1)

    今日ドライバーをしてくれたトーちゃん
    誰も食べない貝を持ってきたので
    責任を取って全部食べる
    あまり残すと100バーツの別料金

    シーフードブッフェ (8)





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     “幻日”



    “黒潮お京”と呼ばれた剣客がいた。いわゆる女流剣士だが、彼女が活躍したのは幕末、そのころすでにアユタヤ王朝はなく現タイ王朝,、都はすでにバンコクに移っていた。

     川面をみながら考えた。
     前作の舞台では長崎でシャムへ行こうと決心するまでの話に終わった。
     しかしお京もまた山田長政とおなじような思いで海を渡ったに違いない。折しも日本は維新政府が樹立されたころ、時代こそ違えもはや日本に剣客の生きる場所はなく、最後は函館五稜郭あたりで討ち死にするしかなかったはずだ。

     ・・・やはりお京はクンテープ(現バンコク)だな。

     どんな困難が待ち受けているのかあたしにさえ予測がつかないけれど、時代背景は今に続くタイ王朝。
     王都はラーマ1世により現バンコクに移され、維新の頃にはラーマ5世の時代となっている。

     アユタヤで日本人が活躍した時代はすでに夢の彼方へ去ってしまっているが、ラーマ5世の時代になり近代化へと舵を切ろうとしている状況は日本における文明開化と通ずるものもある。

     改革には常に痛みと犠牲がともなう。
     新王制の動乱のなかに身を投じるしか選択の余地がなくまた剣でしか生きるすべを持たぬ女流剣士。


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     川上に目を転じた。
     チャオプラヤー川は大きく左に蛇行し木々の向こうに消えている。
     小さな木造船があらわれた。舳先に空を見上げるようにして立つお京が見えた。

     そうか、お京もまた山田長政の足跡をあるいは日本人たちのと言い換えてもよいだろう、つわものどもの夢の跡を一目見ようとこの地に足を運んだのかもしれない。
     あたしの思いは確信に変わった。
     よしこれは決まり。

     だが待てよ、いまやらねばならぬ仕事はどうなる。
     アユタヤに転居してほとんど停滞中ではないか。

     ああいやだいやだ。
     こんなところまでやってきて考えるのはそんなことしかないのか。

     よしみんなでメシに行こう。
     あとは野となれ山となれ。
     呑んでわけのわからぬタイ語を喋りまくってやる。
     


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