アジアの風をいっぱいに受け 雲のように日々を・・・・

12月中旬のバンコク行きを抑えた。
もちろんいつものように格安LCCのビジネス。LCCでない航空会社のビジネスに乗るなんてことはスポンサーでもいない限りあたしには無理だ。経費を使ってビジネスに乗れる身分になりたい。
そんなところへ飛び込んできた航空機事故。LCCと聞いてギョッとした。
インドネシアの格安航空(以下LCCと記載)ライオン・エアがスカルノ・ハッタ国際空港を離陸してから10数分で海に堕ちた。
乗員8人と乗客181人(大人178人、子供3人)が搭乗していたが10月30日午前2時現在機体そのものは発見されておらず生存が絶望視されている。
当該航空会社はこれまでにも数度にわたって問題あるいは事故を起こしており、個人的な意見としては乗りたくない会社のひとつだった。
タイにもバンコク・ドンムアン空港を拠点とするタイ・ライオンエアがあって国内、国際線を飛ばしている。これはインドネシアとは別会社であるけれども、これも私的感想としてはLCCだからといって何にでも飛びついてよいわけではない。
これまでに起きた事故の原因をみると操縦ミスあるいは機体の整備に問題があったのではないかと思わせる事象が読み取れる。
以下は個人的見解である。
LCCならではの機体使用、何を指すかといえばLCCはどうしても保有機材が潤沢ではなく、そのわりにフライトスケジュールが詰まり、結果として整備などに割く時間が削られてしまうのではないかという推察が成立する。
また本国における整備スタッフあるいは操縦士についてもその技量が信頼するに足るものであるかどうか疑わしい。
EUに乗り入れできない航空会社、いわゆるブラックリストがある。主な点は安全面での信頼が得られるかどうかだ。
最新版によるとこれまでリストアップされていたインドネシア籍の大部分の航空会社が今年は外された。
ライオン・エアもリストから除外され、今後はヨーロッパ線の開設もと意気込んでいたが、その希望を砕くことになるであろう今回の事故だった。
機体のオーバーワークかと思ったが、今回の事故機は本年8月に納入されたばかりのボーイング737 MAX 8、まだ800時間程度の飛行しかなかった。
離陸後1500メートルほど上がったところで上下を繰り返してパイロットは空港へ引き返したい旨の通信を行ったとされている。
機材の問題なのかそれとも人的トラブルがあったのかは目下のところ不明。
機体が沈んでいると思われる海は水深も35メートルほどだというからフライトレコーダーが回収されれると解明は一気に進むだろう。
ついでに、
航空会社の格付け調査を行うスカイトラックス発表の今年の世界ランキング、トップ10までを。
1位:シンガポール航空
2位:カタール航空
3位:全日空(ANA)
4位:エミレーツ航空
5位:エバー航空
6位:キャセイパシフィック航空
7位:ルフトハンザ航空
8位:海南航空
9位:ガルーダ・インドネシア航空
10位:タイ国際航空
日航は13位。
20位までにLCCは1社も入っていない。
それはそうだろう。エコノミーは座席も狭く食事も有料がほとんどで旨くもないだろう。
これは自慢じゃないが、あたしはLCCのエコノミーは乗ったことがない、閉所恐怖症の気配があるので多分がまんできないと思われる。普通のエコノミーでも通路側でないかぎりまず無理なのだ。
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新大阪駅で友人と会う妹たちを残し妻と二人でガラガラとバッグを引きずりながら倒れ荘に向かって歩く。
久しぶりの旅で嬉しそうな妻。
ほんの数日の休暇だが懐かしそうに歩く彼女を見ていると胸にこみあげてくるものがある。
いつもそばにいる、そんな当たり前の日々が大切なのだとあらためて思う。
いつもと違う道を歩く。
「あとで一人で駅まで戻れるか」
「大丈夫よ、目印になるコンビニなど覚えているから」
「とにかく駅はあっちだから太陽の動く方向をみて東と西を見ておくことだ。だから北はあっちだよ」
まるで砂漠を歩いているような話。そうだ都会は砂漠だ、あるいはジャングルかもしれない。
「わあミニミニがあった」
妻は仮住まいのことをこう呼ぶ。
度重なる台風にも耐えて倒れ荘は立っていた。当たり前だが今年は例年と違いあちこちで大きな被害があった。
日本の妹がときどき見回りに来てくれており部屋も問題はなかった。
荷物を置いた妻は妹たちが待つ駅に戻った。
掃除などをすませ午後になった。
チェックイン可能な時刻になったので駅近くの民泊ホテルへ。
タイのファミリーのために用意したホテルを見ておく必要があった。
駅近くのホテルは3人ともなればかなり高額で比較的安い民泊ホテルをリザーブしていた。5泊で税込み6万ちかくになる。安いのかどうかなんともいえない。
しかしおもしろい時代になったものだ。
流行りのような民泊。
マンションをホテル用に改装し、受付カウンターは無人。チェックインは備え付けのタブレットで通信する。部屋のキィは教えられた暗証番号で開くボックスにある。
3階の部屋。
2ベッド、キッチン、洗濯機など生活用品がすべてそろっている。機能的だともいえるがそれほど広くはない。しかし清潔そうで安心した。
ホテルを出てタカ君Barberへ。
戻るとまず顔を出す。恒例行事みたいなものだ。高齢のお母さんがいるのでそれも気になる。
よかった、いつものように閑古鳥がうるさく鳴いていたが店も無事にあった。そしてお母さんもお元気なようだ。
今回は妹たちも来るというので彼はお菓子を用意してくれていた。
「滞在中に部屋で食べて」
「ありがとう。でもここへ妹たちも連れてくるからそのときミルキーに渡してやってよ」
チビッ子にはすこしでも多くいろんなものを見せてやりたいそして日本で会った人々のことも記憶にとどめおいてほしい。
この日は夜の食事までひとりで過ごすことができた。
嵐の前の静けさでもあった。
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“黒潮お京”と呼ばれた剣客がいた。いわゆる女流剣士だが、彼女が活躍したのは幕末、そのころすでにアユタヤ王朝はなく現タイ王朝,、都はすでにバンコクに移っていた。
川面をみながら考えた。
前作の舞台では長崎でシャムへ行こうと決心するまでの話に終わった。
しかしお京もまた山田長政とおなじような思いで海を渡ったに違いない。折しも日本は維新政府が樹立されたころ、時代こそ違えもはや日本に剣客の生きる場所はなく、最後は函館五稜郭あたりで討ち死にするしかなかったはずだ。
・・・やはりお京はクンテープ(現バンコク)だな。
どんな困難が待ち受けているのかあたしにさえ予測がつかないけれど、時代背景は今に続くタイ王朝。
王都はラーマ1世により現バンコクに移され、維新の頃にはラーマ5世の時代となっている。
アユタヤで日本人が活躍した時代はすでに夢の彼方へ去ってしまっているが、ラーマ5世の時代になり近代化へと舵を切ろうとしている状況は日本における文明開化と通ずるものもある。
改革には常に痛みと犠牲がともなう。
新王制の動乱のなかに身を投じるしか選択の余地がなくまた剣でしか生きるすべを持たぬ女流剣士。


川上に目を転じた。
チャオプラヤー川は大きく左に蛇行し木々の向こうに消えている。
小さな木造船があらわれた。舳先に空を見上げるようにして立つお京が見えた。
そうか、お京もまた山田長政の足跡をあるいは日本人たちのと言い換えてもよいだろう、つわものどもの夢の跡を一目見ようとこの地に足を運んだのかもしれない。
あたしの思いは確信に変わった。
よしこれは決まり。
だが待てよ、いまやらねばならぬ仕事はどうなる。
アユタヤに転居してほとんど停滞中ではないか。
ああいやだいやだ。
こんなところまでやってきて考えるのはそんなことしかないのか。
よしみんなでメシに行こう。
あとは野となれ山となれ。
呑んでわけのわからぬタイ語を喋りまくってやる。
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