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    ちい公ドキュメントな日々

    アジアの風をいっぱいに受け 雲のように日々を・・・・

    天国から堕ちたのか ここはどこだ?



     鎮座する高僧像に追い出されるようにして仏的テーマパークを後にした。

    「しまった、ごめんなさい」
    「道でも間違えたのか」
    「いやそうじゃなくて、あれですよ、花がない」
     ヒマワリの丘に出るはずだったのだが枯れ草ヒルズに来てしまった。
    「まだ花があると思ったんですが」
    「いいよいいよヒマワリくらいどうってことはない」

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     しかし、花がなければただの汚い畑だ。

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    「まさかさっきの坊さんが念仏を送ったんじゃあるまいな。日本人になんかきれいな景色を見せてたまるかって、消し去ったのかもな」
    「うーんもしかしたらあり得るかも」
    「なに真剣に言ってるんだよ。だいたい坊主は呪術師じゃないんだ。ま、うちの魔女奥さんならわからんがな」

     車はもと来た道を戻る。

     飛騨高山から乗鞍にでも走っているようなヘンな錯覚におちいった。デジャブというか、なにかこの先に起きたような記憶が・・・。

     しかし山とはいえ緑は圧倒的に少ない。季節だけの問題ではない。かつての無計画な山林伐採がタイの山々から緑を消し去ってしまった。

    「おっありゃなんだ!」
     あたしは、このときだけはちゃんとしたタイ語でもう一度怒鳴るように言った。
    「ナン・アライっ!! ありゃなんだ」
     延々と続くごろた石の原っぱ。
     どこだここは。
     まさかイタコガ現れるのではあるまいな。
     天国を追い出されて地獄へ堕とされたのか、それとも太古へ飛ばされたのか。


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    原始時代 地獄か






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    天国にちかい場所にて


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    『ちい公、よく来たね、といいたいところだが、お前さんは線香の一本も買わないんだね。タンブン無くして来世の幸福は望めないぞ。現世でお前がお金に縁のない生活を強いられているのは前世で徳を積むことが少なかったからだ』

    「お坊さん、あたしはね日本の仏教徒なんでタイの仏教である上座部仏教(テーラワーダ仏教)とは基本的に思想が違うんだ。だからねタイのお寺や坊さんの像の前にきてもすぐに軽い財布を開くようなお人好しではないんだ、わるいね」

    『そんなことを言ってると来世ではもっとひどいことになっているぞ』

    「脅したって無駄だね。そもそもね、タイでは何かというとすぐにタンブン、タンブンといって徳を積むことがいかにも美徳であるかのように喧伝するけれど、なんのことはない貧乏人からなけなしの金を巻き上げる便利な手法じゃないか」
     
     今日のちい公、おしゃべりはつづく。

    「金ぴかのお寺だって庶民が持ち寄る金がなければ一日だって維持できないだろう。それにさお坊さんあんたは確かにタイでは有名な高僧であちこちのお寺にも像が建立されているような偉い人だってことは知ってるよ。だけどさ、ここはなんだ。お寺かって聞けば、そうじゃないという。ならなんなんだ、遊園地かい、動かないゾウもいるしな。しかしなんだ、キンキラキンの像の前でお供えをして祈る人はほんとにこれで救われるのかい? あたしは疑問だね、不思議と言ってもよいな」

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    『お前のような日本人には何を言っても無駄だ。ここが天国に一番近い場所だと信じて参拝する者たちも多いのだ。もうお前とは話はせんからとっとと天国から出て行きなさい』

    「どこにでもなんでもかんでもデカいものをおっ建てて、タンブンだといっちゃ貧乏人の金を吸い上げる、これでよいのかい貧乏で善良なだけの人々は」

     こうしてちい公は天国に近い場所から追い出されたのだった。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    こんなことを言ってると、あたしとおなじような意見を持つ人々が存在することが分かった。
     
    先だってうちの魔女が行ったヘヤードネーションも、そのような運動のひとつとしてとらえているようだ。

     要するに徳を積むという行為はなにもお寺にお金を運ぶことだけではないという。病院に寄付する行為もそうだし、貧しい地域や人々に率先して援助をするなど、従来のすべてお寺にというスタイルを改めようというムーブメントであるらしい。

     もちろんお寺サイドにすればタンブンという便利な言葉は自分たちのところに金を持ってくる行為以外のものであってはならないと考えているのかもしれない。

     この話はいずれまた掲載します。
     







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    困ったものだテレビ局員


     彼の名はノンという。
     もちろんニックネームだ。タイではほとんどの人が友人知人の本名を知らない。
     電話番号とSNSの連絡先が分かればそれでよい。

     好人物であるが英語がさっぱりなので、なんちゃってタイ語のあたくしとは会話が成立しない。たまにお互いわかったようなつもりでいて後で第三者に確認するとまったくだったというようなことが少なくない。

     彼の私用車の日本語が気になっていたので尋ねた。
    「このシール、何語か分かっているのかい?」
    「ええ、日本語ですよもちろん」
    「意味は?」
    「それは知りません。ショップで見つけて貼っただけだから」
     そんなことだろうなと思った。

    どりてん ノンちゃん (2)

    どりてん ノンちゃん (1)

     
     よく外国人が意味も分からない日本語Tシャツ【痔】とか【冷奴】とかを着て、すまし顔で歩いているが、それをTシャツにプリントしようと考えた人間に会ってみたいといつも思う。
     ほとんどは内容よりも見た目で漢字を選んでいるのだろうが、その感性や感覚を覗いてみたい。

     話を戻そう。
     ノンが尋ねる。
    「この日本語、どんな意味です?」

     どりてん、とかいていあるからおそらくドリフト天国からもじったものだろう。
     けれどそんなことをいちから説明するのは面倒だし、おそらくドリフトそのものも知らないだろうから、いやあたくしの方が困るので、別の説明にした。

    「これは、この、【ど】のチョンチョンが間違いで、ほんとは日本語で(とりてん)と書いてるんだ」
    「トリテン?」
    「そう、とり天、とりはチキン、タイ語でガイ。とりの天ぷら。だからとり天なんだ」
    「ガイの天ぷらか・・・」
    「チキンはフライもいいけど天ぷらも美味しいよ。ああこれを見るだけでお腹が空いてきた」

     これで【どりてん】の説明は終了した。



    あのさテレビで捕まった犯人がよくやらされてるだろ
    指をさして、これ私がやりましたってやつさ
    言ったらほんとにやってくれたノンはいい男だ

    どりてん ノンちゃん (3)



     ところがあとでびっくり。
     ノンちゃんは近くにいた仲間にこの日本語の意味を得意げに説明していた。
     テンプラと聞こえてきたから、あたくしの説明をこんなときにかぎってちゃんと理解したようだ。

     頭のよい奴は少なくないからこの冗談はすぐにばれるだろう。
     まあいいか。大勢に影響はない。どりてんだろうがとり天だろうがなんてことはない。
     いい加減な日本人がテレビで責められることはないだろう。




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    アユタヤで美味しいヌードル


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     タイのヌードルについてはあちこちで書かれているのでいまさら説明もどうかと思うが簡単に。

     よく目にするのはタイ人が好んで食べるヌードルのことをタイラーメンと表現しているサイト。
     これはタイスタイルの麺料理ではあるがラーメンではけっしてない。
     このことはタイ人自身がちゃんと区別している。
     ラーメン屋はいわゆる日本からの出店かあるいはタイ資本の店であって我々が知っているラーメンを提供している。

     タイ人が好んで食べるヌードルはアルファベットで書くとKUAITIEW(クアイティアウ)となるのだが日本人には難しい発音なのでクイテウと言えばだいたい通じる。

     麺は米の粉が主成分なのでラーメンとまったく違うもの。
     スープはあっさり味でチキンなどがベースに使われている。
     今日食べたのは下の写真。
     アユタヤでいちばん美味しいと言われている店で食べた。
     トッピングで名前が変わる。
     これはブタとミンチ団子(ルクシン)もブタなのでクアイティアウ・ムー(ブタ)ということになる。

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     あたしはコショウやチリなどを少し入れるだけで十分美味しいのだが、タイ人のなかにはテーブルにあるその他の調味料、酢、砂糖、ナンプラーなど、なにが好みかわからないほどいろいろ混ぜる人が結構いる。

     この店は麺料理専門店ではなく他の食事も提供しているのだがこのヌードルが美味しいと口コミで広がっている。

     けれどここのクアイティアウは高い。
     平均的に一杯30バーツほどで食べられバンコクでも40バーツほど出せば美味しいヌードルが出てくるのだが、アユタヤにして50~60バーツは高い。
     これで普通の味だったら誰も注文しないだろうが、世の中上手く出来ているものだ。



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    ナコーンラーチャシーマー(コラート)へ



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     今週末はイサーン(タイ東北部)の玄関口、ナコンラチャシーマー(別名コラート)に来ています。
     バンコクから北東に約260キロ、アユタヤからだと1時間半ほどです。

     街から東に向かえばメコン川。
     かつての時代、タイ中部にスコータイそして南に下がったアユタヤに王朝があった頃、東からメ攻めてきたのがクメール王朝、現在のカンボジア。

     したがってナコンラチャシーマーから東にはクメール遺跡が現存し、歴史好きにはたまらないエリアといってよいでしょう。


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    この地域に興味のある方はこのURLでどうぞ。
    タイ国政府観光庁 ナコンラチャシーマー





     旅の様子はいずれお伝えすることにします。
     



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    姫さまとアジのフライ


     24日付でお伝えした話の続きです。
     ちから姫さんの城下では最近になってタイ産と表記されたアジフライが売られるようになったという。

     最近なにかにつけ日本とタイの結びつきが身近に感じられるようになった。日本を逃げ出したちい公がタイに住まいしていることを思いだしこのようなお話を下さったのだ。

     先日(24日)のトピックで書いているように、タイでアジが売られているのを見たことがなかったので、どういうことかなと疑問に感じていた。

     そこで姫さまは、またまた城を抜け出しくだんの魚屋へ出かけ、そしてアジのフライを入手してくれた。
     聞いてくれた話によれば、アジは日本から送りタイでカット加工して冷凍で送り返す。日本で解凍し粉をつけて揚げているということだった。
     

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     なるほどね。それなら日本産だということだからタイでアジを見かけなかったのもうなずける。
    「日本産ならどうしてタイ産と書くの? よくわからないわね」
     加工だけにしても水産物などの表示規定でこうなるのかもしれないが、ちょいとややこしい話。

    「でもフライは美味しかったわ。たまに庶民のものを食すのも悪くないわね」
     そう言って姫さまはケラケラと笑った。





    感謝・力石に魅せられて 姫は今日も石探し
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    お洗濯だよ



     我が家の洗濯は週一度、週末と決まっている。
     一度で干しきれないので土日の二日間に渡ることが多い。

    「今週は木曜か金曜にお洗濯お願いね」
    「あいよ、でごわす」
     いろいろ言いつけられる家庭の用のなかでも洗濯は好きな仕事だ。返事も極めて良い。

     今週末は短い旅に出るのでその前に洗濯をすませておこうということだ。

     年に何度か洗濯の話題になる。
     たしか前回は秋ごろ、こちらへ転居して間もない頃だった。
     バンコクで使っていた洗濯機も買い替え時だったので荷物を軽くするためにそのまま捨てることにした。そしてドラム式の乾燥機つきタイプを買った。

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     新しい洗濯機が原始人にはもの珍しく、前に座ってクルクル回転する洗濯物を飽きもせずながめて過ごした。

     これはなかなかの優れものだ。
     汚れがひどければ水温を上げることもできる。
     もちろん乾燥までできるが、それは許可されていない。
    「雨がつづいたときだけね。もったいないでしょう」
     
     それはそうだ、もっともだ。

     テラスに洗濯物を干す作業がどうも面倒だけど、自然の風で乾燥させた衣類は気持ちよい。

     洗濯は好きだと書いたけれど、実際は動いている水や洗濯物を見ているのが好きなのだろう。
     もうなくなって久しいが、何世代か昔のタイプ、洗濯槽を上から見られるのはよかった。
     渦巻きをただ眺めているのが好きだった。気持ちが落ち着いた。同時に身についた埃まで渦の中に吸い込まれるような気がしたものだ。

     その点、全自動や、まして今のドラム式では扉があってすこし様相が違う。
     なかでクルクルと衣類が回転している。
     ときおり激しい水音がして排水しながら回っているときもある。それぞれのコースでプラグラムが違っているのだろうが、まだそこまであたくしの研究は進んでいない。

     洗剤と柔軟剤を忘れずセットする。
     教えられた通り、選択コースはMIX。水温はお湯を使わずCOOL、あとは衣類の重さなどで自動設定される。
     
     ドアの前に腰を下ろす。ここからはただ眺めていればよい。
     7人の小人がワッセワッセと働いている。
     天下泰平でごわす。
     

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    この魚、なあに?



     ちから姫さん(力石に魅せられて 姫は今日も石探し)が教えて下さった。
     いまお住まいの地域のスーパーではメイド・イン・タイランドのアジフライが売られていると。


     周りを海に囲われた島国にすむ日本人にとって魚は日々の暮らしに必要不可欠ともいえる食材であろう。
     たとえ海から離れた山里であったとしてもやはり海の幸はいつも食卓に並んでいた。人間の知恵は塩や自然の太陽光を利用することで長期保存を可能にしてきた。

     そんな日本人だから外国に在住していてもスーパーや市場などに行けばやはり魚が気になる。

     タイでいうと、同じアジアだからほとんどは見たことのある魚種が多い。地理的な関係で南の海に生息する色鮮やかな魚もあるが、タイでは淡水魚も多く売られている。
     それによく話すことだが、サバはこちらではプラーサバになる。サバというのはもちろん日本語由来で、そのむかし食べ方を教えたのが日本の漁師だったという話がある。

     先日ご紹介したが首のつけ根が曲がっているタイで人気の大衆魚プラートゥ。
     味は洒落でなくアジによく似ている。しかしアジの仲間ではないらしい。尻尾にあるゼイゴ(うろこ)がない。科目的にはサバの仲間だという。

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     本題に戻ろう。
     タイ産のアジフライと聞いて不思議に感じた。
     というのもいままで記憶にあるかぎりタイの魚屋でアジを見たことがないのだ。前述のプラートゥが首が丸くなければアジに見えないこともないが、でも違う魚種だ。

     そんなことを食事時に妻と話していた。市場に行ったらアジが売られていないか見てくれるようにと写真をみせておいた。

     うちの女房殿はよくできた魔女さん。
     次の日さっそく一匹の魚を持ち帰った。

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     もちろんこれがアジでないことは承知の上で買ってきてくれた。
     これもプラートゥの仲間だという。名前が「プラートゥ・マン」というらしい。
     首筋が真っすぐで一見したところアジに見えないこともない。
    「マンというのは、身がモチモチして美味しいというようなことよ」

     やはり尻尾のゼイゴがないからアジではない。独特の模様がないからサバでもない。

     ちから姫さんがご覧になったタイ産というのはもしかすると加工したのがタイの工場ですよという意味かもしれない。
     でもバンコクあたりの少し高めのスーパーなどではアジが売られている可能性もなきにしもあらずで、このアジにまつわる疑問はしばらく続きそうだ。




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    アユタヤの占い師



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     さあ何をみてさしあげましょうか。
     
     何をっていわれてもなあ。こちとら大して運も残ってないだろうし、未来と言ったっていまさらという気もしないでもない。
    「じゃ女運でも」
     あたしの言葉が終わらないうちにバシッと横合いからパンチがとんできた。
    「冗談ですよ冗談。こんなできた奥さんがいるのですから女運も全部使い切ってしまったのはようくわかってるんですよ、はい」
    「わかってるのならよろしい」
     正面の占い姉さんより隣に座る奥ちゃまのほうが騒がしい。

    「なんでもいいから適当にカードを引いてみて、それでなんか言ってみてくださいよ。当たっていたら拍手しますから」
    「・・・そんなむつかしいことは」
    「だいたいタロットって何枚くらいあるの。トランプよりは多いみたいだね」
    「う~ん、メインは22枚なんだけど合計で、え~と何枚だったかな」
     そばにあった手引書を開いて、
    「全部で78枚よ」
     なんとも頼りない占い師だ。

     それもそのはず。
     このフォーチュンテラー、修行をはじめたばかり。ちい公が客モデルにされたのだ。

    「とにかくさ、ボクはあなたがやるタロット占いってのに興味があるんだから、はやくマスターしてちょうだいよね」
    「昨日からバンコクへ行ってきて少し眠いのよ。頭が冴えないの」 
    「とにかく早いうちにちゃんとやってみせてよ。そうすれば何バーツか稼げるじゃん」
    「いいのよ。ちい公ならお好み焼き一枚でみるわよ」
     

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    物質転送 夢の彼方へ


     この時代は便利といえばよいのか、それともすべてが簡単になったというべきか。
     生活の中で重要な部分を占める仕事において大小にかかわらずコンピューターがなくては夜も日も明けない時代になって久しい。

     ワープロという機械が日本で発売されてすぐから書くという作業はキィボードを打つことに変わってしまった。
     もちろん手で書くということを忘れてはならないと自分に対する戒めの意味もあってペンを使う作業をあえて行う時間を設けるようにしてきた。

     しかし悲しいものだ人間というのは。
     あとで読み返して必要な事項を使おうというとき、さあ困りました、自分の書いた文字が判読できないときた。
     まるでヘブライ文字のような不可思議な書体を必死に解読する作業がまた大変なのだ。

     便利な時代に慣れてしまい、その結果として多少ミラクルなことが起きても驚かなくなってしまった。

     たとえばこんなことはどうだろうか。

     三日前の夕食がとても美味しかった。
     それで今日はもう一度それが食べたいね、ということになった。
     そのときの食事はもちろんピクチャーで保存している。

     ポンポンとキィボードを叩く。
     ほんの数分で、いや数秒かもしれないがキッチンのテーブルへ行ってみると写真のままの食事が湯気を立てて並んでいる。

     この仕組みがよくわからない。
     パソコンがつながっているのはネット回線だから、これらの食事はネットを経由して届けられたものに違いない。

     しかし、どうしてだ?
     どこから?
     レストランから?

     そうこうしているうちに今度は自分自身が数日前にポンと戻ったり、数日後に行ってみたりできることに気がついた。

     ここで考えた。
     タイムスリップのようなこんなことができるのであればもっと先へ行けないものか。

     自分自身が病気か何かで最後を迎えるときを見てみたくなった。
     もしそれが可能ならば倒れる寸前の日時に行き、もっと生存できるようななんらかの対処が可能ではないかと考えたのだ。つまり運命を変えてみることに等しい。
     
     まだまだこの世に未練があることを今更ながら思い知ったような話だが、結論をいうとこれは残念ながらそこまでジャンプすることはできなかった。スリップ出来てもせいぜい3日前後で、食事の再現もおなじことだとわかった。

     いかがでしょうか。
     なんとなく理にかなっていると思わないだろうか。
     ある日の朝、目覚めてすぐにメモしておいた夢の記録から書き起こしてみました。

     習性とはおかしなもので、このような夢の記録がたくさんあり、そのうちのいくつかは夢だと言わなければ創作だと錯覚しそうな物語になっている。

     折をみて夢にまつわる考察なりをまた書いてみたいと思う。
     きょうもおつきあいありがとうございます。

      


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