アジアの風をいっぱいに受け 雲のように日々を・・・・

少年よ
誰が何を言おうと
君は自分の信じた道を進むだろう
それでいいのだ
君の前には果てしない未来が手を広げている
誰が何を言おうと
君は自分が信じた道を進む
それが個性なのだ
10年先の君が楽しみだ
彼らが唄っているのはタイ国歌です
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平成が終わる。
定められた終身在位制あるいは天皇の意思表示を憲法違反としてどう考えるかなど指摘されるべき問題はある、けれども生前譲位を今回かぎりの特例としたのは評価すべきだろう。
今回の改元は、おめでとうございますと私自身は言いたい。
とはいえ特筆すべき大きな災害が起きた平成だった。
平成天皇はほんとうにお疲れさまでした。つねに国民の幸せを案じ祈ってこられたあなたに不良国民ではありますが心より感謝申し上げます。
天皇陛下万歳と言って死んでゆく時代ではないが、陛下の存在は昭和生まれの私にとって特別な感情があります。不敬かもしれませんがより近しい存在のように感じてなりません。
だからよけいに、有難う、お疲れさまでしたの感謝の言葉がなんのためらいもなく出てくるのです。
仕事と言っては語弊があるかもしれませんが、皇室に生まれ育ち、法の定めに従って天皇となられた。制約だらけの皇室にあって天皇としての職務(公務)と義務を果たされるその心労はいかほどだったろうと拝察いたします。
ありがとうございました。
どうか退位の後はゆっくりと幸せで楽しい日々をお過ごしくださいますように。
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人間が息絶えると死体あるいは遺体と表現される。
死亡して物体と化した元人間、それでも人々、とくに日本人はけっして粗略に扱うことはしない。
それは日本人独特の死生観とでも表現すればよいのだろうか。
日頃さまざまな原因によって死亡した遺体を扱う機会が多い捜査機関にしても、現場から運び出したりするときは第三者の目にふれぬよう大きなビニールシートで目隠しをする。もちろん撮影防止の意味もあるが、やはり日本人独特の死体に対する尊厳があるのかなと思ったりもする。
タイとなれば、同じ仏教徒であるといっても死体に関する扱いとくに報道に関しては日本とは違うように感じる。
これは大乗仏教とテラワーダ(上座部仏教)の死生観の相違といえばよいのだろうか。
最近では少なくなったがそれでも残虐、凄惨なシーンを簡単なボカシでオンエアしたりもする。
それでも、このような配慮が行われるようになったのは自分が記憶するかぎりここ最近のことだ。
むかしの話だがタイのニュースペーパーで愕然とし、いまだもって忘れることのできない一面ニュースがある。
白人男と一軒家で暮らしていた女性。
二人の間に何かトラブルが生じて男は国へ帰ってしまった。もしかしたら男は彼女を捨てたのかもしれず、行く末を悲観した女性が首つり自殺をしてしまった、そんなニュースだった。
一面トップとはいわないがそれでもハガキ大の写真が掲載されていた。
「こんなのありか!」
思わず声を出したのを覚えている。
故あってそれまで死体が転がっているような現場を知らないことはなかったが、新聞としてこんなことが許されるのかと疑問を感じた。
女性は住んでいた家の軒先で首を吊った。
警察もすでに到着していたが遺体はそのままで、だらんとぶら下がったパジャマ姿が掲載されていた。皆様もよくご存じの貞子のスタイル。長い髪で顔はかくれてはいたものの、だからといってそのまま写真を載せる理由にはならない。
なぜ先に遺体を下ろしてやらないのか疑問だった。すでにポリスが数人、家の前に立っている姿も写り込んでいた。それなりの捜査ルールがあるのかもしれないが死体にたいする考え方にすこし混乱したのを覚えている。
現在のテレビ報道もかなり規制されてはいるが、事件事故で亡くなった人間をニュース映像として流すのはめずらしいことではなく、よほど損壊が激しくないかぎりボカシのかけ具合はかなりゆるいと感じる。
これはどういうことだろうか。
墓のない国タイ。
やはり死生観の相違という曖昧な言葉しか出てこないのだがあなたはどうお考えになるだろう。
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タイの夏が終わろうとしています。
ストームがときどきやってくるようになりました。
夏が終わりそして雨季がやってくる前ぶれでしょう。
これに雷が加わるともういけません。
うちの奥ちゃまはあたしのそばから離れようとしません。
まあまあお熱いことで、とひやかすそこのあなた、
しがみつかれた古電信柱のようなあたくしはただ暑いのを我慢しているのでございます。
]
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状況説明 これから托鉢に向かうお坊さんがやってきた。
居合わせた婦人警官。
思わず「お坊さんに敬礼!」
驚いたお坊さん、
あわてて答礼してしまった。
持っていた托鉢道具が・・・
男性警官がとんできた。
「なにやってんだよキミは、敬礼じゃないだろ、ワイ(合掌)だろフツウは。制服のときでも帽子をとってワイだ」
「いつもはちゃんとワイ(合掌)をしているんですけど、今日は制服なものでついクセになって」
そして婦人警官、
「どうもすみませんでした、敬礼!」
「だからぁ!! おーい」
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もしこれを読んで下さっている誰か、あなたかもしれませんが、病気が原因かそれともただの考えすぎによって悩んでいるようなことがあれば、こんな奴もいるのよと笑って下さればいいなと思って今日のタイトルになりました。
かすんできた記憶の片隅。
たしか昨年にブログネタで病のことをあれこれ書いたことがあるのを思い出し再掲します。
まずこんなトピック
これは過去ログです
日によって違うのだが、朝から一つの歌がなんの脈絡もなしに口をついてでるときがある。
同じ歌ばかりを口ずさんでいる自分に気づき唖然とするかもしくは笑ってしまう。
♬ ようこそここへ
ようこそここへ
クッククック クク81~ ♬
どうしてこれなのか、考えてみるに、最近みた芸能ネタに桜田淳子さんが還暦かなんかで芸能界復帰だとかそんな話があったのが原因だろう。
まあ、ただそれだけのことなのだが、日によって朝からやる気満々で仕事などもバリバリこなせてしまうことがある。
またこれとは正反対に、なんにもやる気がせず、まあビールでも呑むかとまるで小原庄助さんのように日の出とともにフ~ラ、フラ。
情緒不安定というよりは、なにか失調症的な病気ではあるまいかと考えてしまう。
そんなことはあるまい、ただの酒好きじゃねえか。そんな声もあちこちから。
そうだ、こんな上等な病気になるほど元ノラ公は出世などしていないはずだ、と我が身に言い聞かせる。
若くないウエルテルは何を悩む。
二本目 タイトル:病 名
これは過去ログです
とくに自分自身がどこかおかしいな、病気かな、と思ったことなどほとんどない。
したがって日頃は病名などにあまり関心もなかったのだが、日本でテレビを観ていると、おや?と思うような病名を耳にすることがある。
もちろん病名に詳しい方は、そんな病気はむかしからあるよと笑われるだろう。
病名は時代とともに変化しているようでもあり、とくに精神的疾患の場合、あたしにとっては新病かと思わせるようなものが多い。
慢性疲労症候群という症状があってそれは「全身性活動(労作)不耐症」というような、なにやらわからない名前らしい。
○○障害という病名も昨今よく聞く。
なんでもかんでも障害をつけるとするならば、あたしなんぞ山ほど病名がつくだろう。自覚がないのでほんとは病気などではないのだろうとは思うけれども。
しかし実際問題として、自覚症状があって悩んでいる人々が少なくないので、患者自身のためにはこのような詳細な区分けが必要なのだろう。そして改善のためになすべきことも変わってくるはずだと思う。
万引きという犯罪。
これもある種の病気と診断される場合がある。
記者会見で知ったのだが、知らぬ間に物を盗んでいたという、つまり悪いことをしているという自覚がないようだ。
病名は「窃盗症」というらしい。
たしかにむかしから窃盗を癖のように繰り返す者は存在したし現在もあちこちのスーパーで捕まる人たちはいる。なかには生活のために食料品を盗む輩も少なくない。
これは病気ではないと判断されるのかもしれないが、もし本人に罪の意識がなければどうなるのか。最後は医師の判断に頼ることになるのだろうか。
むかしむかしのある時期、かんたんにいうと情緒不安定になり過呼吸になったときが唯一もしかしたらこれは病気ではないのかと思った時だ。
なにもかもイヤになりすべてを清算しようと荷物のほとんどを処分したことがあった。おかげで物がなくなり身軽にはなったが、たくさんのスーツや衣類、喪服のはてまで捨ててしまい、今になって時々だが、バカなことをしたと思うことがある。
しかしそれでも裸でうろつくこともなくちゃんと人間のような衣服で生きているのだから、所詮は自分にとって不必要なものだったと思えなくもない。
こんなことを書いているあたくしはもしかしたら・・・?
ここまでが過去ログ、
そして今日のメインディッシュ。
半分何かの病気のようなあたくしが言うのも気が引けますが、おおよそ医者というものは患者に相談されればなにかの病名をあてはめねばならず、ゆえに近年はわけのわからぬ病名があふれかえっているのです。
もしあたくしが医者にかかることを何とも思わない人間だったら、とうになにかの病名をもらって、大げさに薬などを見せびらかして自慢していることでしょう。
「この病気は神経質でちょっと頭が回りすぎる者の病気なんだ」
などと吹聴すること間違いなし。
要するに現代人にあって肉体的あるいは精神的になんらかの問題もしくは病と関係のない者はいないということ。ほじくれば必ずなにか出てくる。
だから医者に何を言われようと、くよくよ考え込むのがいちばんいけない。それが逆に万病のもとであるといってよいでしょう。
そして最後に、ちょっとした病気があるかもしれないと思っているあなたに、それがあなたの個性であると自信を持ってください。
個性のない人間ほどつまらないことはないのですから。
どう生きてもたいして変わらぬ時間の人生です。
ならば今からでも遅くない。もっと顔をあげ、遥か前方を見据えて歩こうではありませんか。
そしてたまには空を仰ぎしょう。
白い雲と青い空。
いずこの地にあろうと、肌の色、人種こそ違えども同じ人間がこの空を見ているのです。
この星の生物はあなただけではなくそして悩んだり考えたりしているのもまたあなた一人ではないのです。
今日は過去ログも入れて長くなりました。ちい公ブログにしては滅多にないことです。
ここまで読んで下さったあなたにだけ感謝です。
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空ゆく雲のようにいつも自由でありたい。もとノラのちい公がお届けするごく私的な日常と愛する国そして人々への思い
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