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    ちい公ドキュメントな日々

    アジアの風をいっぱいに受け 雲のように日々を・・・・

    異境への橋

     
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     異境への橋


    20230923102705_IMG_0086 (1)



    異境へ入り口 箸 (3)
     



     話が前後します。

     紀州の山里、そういえば聞こえはよいけれど、とにかく辺境の地。
     若者そして子供がいなくなって過疎というけれど、この地は昔からとんでもない場所だった。たしかに私の幼少期に子供の数はそこそこあった、けれど不便な山奥の村には違いなかった。
     嵐がくれば道路は遮断され陸の孤島となりそれが何日も続いた。その間、村人はどうして飢えをしのいだのかそのあたりの記憶が私にはない。

     この地にも平家落人伝説や南朝衰退にまつわるやんごとなき人々の隠れ里としての逸話が残されていた。それだけ山深い里だったということでもあるだろう。

     この地にたどり着くのは予備知識がないと容易ではない。
     いくつも峠を越えわずかな戸数の村々を通り過ぎる。そしてまた山道をくねくねとたどる。この先にまだ人家があるのだろうかと、地図で見た山々には果無山脈と、まるで何かを暗示するような名前がついている。

     そしてとつぜん開けたかのような場所にみえる橋。
     これが異境の地へとつづく橋。

     この鉄橋が架けられたときを私ははっきり覚えている。
     多くの職人がやってきてこの橋を架けた。
     忘れもしない彼らの、今でいうプロフェショナルな裁き。
     なかでも赤く焼けたビスの投げ渡しは印象的だった。
     一人が真っ赤に焼けたビスを鉄ばさみでつまんで数メートル離れた場所の仲間に放り投げる。
     受け手は金属の筒をミットにして焼けたビスを受け取る。
     そしてそれを近くの仲間がハンマーで打ち込んでゆく。
     この一連の作業が子供の目にはまるでサーカスのようにも思え、飽きもせずながめていた日があった。
     あれからもう半世紀以上。
     異境への橋はまだここにある。



     
    異境へ入り口 箸 (1)


    異境へ入り口 箸 (2)
     





     









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    山里へ

      
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     山里へ

     弟が田舎へいこうといってきた。
     墓参りもするので一緒にどうだという。
     弟は昔からいい出したらしつこい。性格なのかどうか末っ子の甘えがいまも続いているのかどうか、こちらがうんというまで引き下がらない。
     よほど病気のせいにして手術前だからどうのこうのと拒絶しようかとも思ったが、弟は私がそれほど大したことのない症状だとわかっているので、それも大人げないと、渋々田舎ゆきを承知した。

    「あのさ、ついでにね、温泉にでも一泊してこないかい」
     弟はそんなことをいい出した。
    「温泉ならお前たち二人でいってこい。おいらは嫌なこった」
    「そんなこというなよ、ゆこうぜ久しぶりじゃないか」
     ここでもまたしつこい。
    「温泉へゆくならおいらはいかないから、お前たち夫婦でいっておいで」
     そういうと素直に引き下がった。

     そして前日の夜だった。メールがきた。
    「あのさ温泉予約したから一泊するよ。もうキャンセルできないからいってください」
     ああやられた。
     キャンセル不可ならどうしようもない。兄貴がそこまで頑固者ではないことをわかっている。

     紀州の山里に弟たちの父親そして縁者の墓地がある。
     私は弟の父親に育ての親というほど世話になってないという気持ちがずっとあるのであえてその話題にはふれないできた。
     ただ同行はして手くらいは合わせるがそれ以上でも以下でもない。
     なんせややこしいのであまり詳しくは書きたくないが、弟はかつて私の子供時代の日記を読んで涙を流したくらいだから、そんな兄貴の気持ちを理解していると私は思っている。
     いずれにせよこの世に唯一残った縁者、弟であるから憎いわけもない。

     なんせ狭隘な山里だ。
     あたりの森林は計画的に伐採植林され濃く深い緑が覆っている。
     サルが走ればイノシシやシカがひょいと顔を出す。人間の数よりはるかに多い野生動物たち。

     久しぶりにお寺へいった。
     もう檀家の数は少なくかなり以前から近くの町の分院になっている。なので住職は常駐はしていないようだ。昔はここに坊さんが住んでいて中学校の社会の先生だった。

     大人の目でみる寺の庭は信じられないほど狭かった。
     こんなところで村人が集って盆踊りをしていたのだ。もしかしたらあれは夢ではなかったのか。
     束の間タイムスリップしたような感覚に陥った。




     山里にて (2)

    山里にて (3)

    山里にて (5)













     

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    病院

     
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     病 院

     病院といえば、つい数年前、かかりつけ医を設定し降圧剤をもらうようになった。日本滞在中は月に一度通っている。
     それまでは高校時代に盲腸の手術をしたのと大学生のときに野球中に審判をしていたときチップのボールが目にあたって眼医者に通った。たった二度しか自身は病院と名のつくものに世話になったことがない。

     もちろん介護していた母親を数えきれないくらい病院に運んだ経験はあり、また妹に関しても手術など節目節目では付き添ってきたのでそれなりに病院のシステムは理解しているつもりだった。

     まさか今度は自分が手術をされる羽目になろうとは思わず、若干の焦りは禁じえなかった。
     かかりつけドクターから紹介してもらった総合病院は妹が緩和ケアから旅立った場所だった。
    「もしいやだったら病院変えてもいいですよ」
     かかりつけドクターはいってくれたが、私のケースはまるきり関係ないのでありがたく紹介状をもらうことにした。
     ドクターはよくできた方で、少し待つ間に相手先へ連絡し私の診察日や担当医を決めてくれた。

     ほんの数か月前、火曜日の午後も休診になっているのをなぜかと聞いた私に、
    「もうやる気がないんですよ」
     そんな若者みたいな言葉を吐いていた同一人物とは思えなかった。
     ドクターもまだまだやればできるじゃないか、そう思ったが口には出さなかった。

     午前9時30分に予約を取ってくれていたので9時に受付へ出向いた。
     ここでは初診だから最初から手続きが必要だった。

     問診表など書いているうちにプラスチックの診察券ができた。
     なんだかここでも浦島の気分。このカードの暗証番号は、と考えて、そんなカードではないと思い直した。
     たしか妹のときにも何度かついてきたことがあったけれど彼女はなんでも自分でてきぱき片づける人だったから私の出る場面はなかった。一度だけ妹の病状の宣告時には一緒に医師の前に座らされたが、そのときも妹はしっかりしたもので必要な事柄を質問したりしていた。私は結果を予期していたのでうろたえはしなかったが涙を必死でこらえていたような気がする。

     紹介されたドクターもよさそうな、できる医師にみえた。
     私の何倍も速くパソコン入力をするのが気に入った。まるで漫画ステッカーのパソコンを打つワンコにみえた。
     手術の内容とか、日時、入院日数などを、こちらの意向も聞きながら入力していった。

    ワンコ PC 犬
     

     
     そのあとは手術のための様々な検査。
     窓口行脚、いくつ回ったか混乱しそうだった。
     採決、小さなカプセルが何本も並んでいるのをみて私は顔をそむけて天井をみた。何本も血が抜かれてゆくのを直視できなかった。
    「最近ダイエットでいいもの食ってないから血も薄いかも」
     それだけいうのが精いっぱいだった。

     レントゲン室で、胸から腹、次は立ったままで腹部の撮影をするという。
    「ズボン下ろしてください」
     私は下腹部も当然撮影するのだろうと、加減がわからず膝まで下着もろとも下ろしてしまった。
     技師のおじさんが,
    「パンツは大丈夫です」
     声があわてていた。
     そうだなチンチンの病気じゃないんだからそこまでレントゲンは要らないか。

     これには続きがあって、夜の定時連絡で妻に話した。
     モニターの向こうで妻がひっくり返りそうになって笑った。
    「Xレイのガラスにくっつけてどうするの」
     下ネタだがうければよいのだ。

     手術は10月の初旬に行われることになった。
     それまでチビチビ呑んで静養しましょう。

     


     
     

     

     






     








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    倒れ荘へ

     
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    倒れ荘へ

     三か月ぶりの倒れ荘。
     いまはだれも空気の入れ替えをしてくれる人がいない。
     なんと臭いことよ、これは住人の臭いかそれとも何かが発するものなのか。
     古本のかび臭さでもなし何かの腐ったものでもなし、

     こんな歌があった、

     🎵 もう日に焼けた畳のにおい
        いつもあなたの手を借りた
        背中のボタンがとめにくい 🎵

     こちらのほうがぴったりくるか

     🎵 西陽でやけた たたみの上
        あの人がくれた花瓶
        別離た日から花も飾らずに
        淋しくおいてある  🎵

     しかしいずれにせよ ここに畳はない。

     オーストラリアのNoahちゃんは数か月の留守中換気扇を回しておくといっていた。
     うちの換気扇はキッチンとバスルームだけでキッチンはゴウゴウとすごい音だしバスルームの換気扇は古びてどこかやばいノイズがあるのでどちらもこわくて三か月もまわしっぱにしておけない。

     まあしかし、と考え直した。

     もし自分がここで孤独死などしていたならこんな臭いではすまないだろうな。

     あ、そうか自分は孤独死などの心配はないのだ。日々の定時連絡は南極越冬隊もびっくりの確実な業務なり。それでもし私と連絡がつかなければ弟がおっとり刀で駆けつけてくるという段取りになっている。なので腐敗する心配もまずない。それどころか虫の息のところを発見され一命をとりとめる可能性だってある。

     まあしかし臭い部屋だ。
     窓を開け放ちあちこちにファブリーズをまき散らす。こんなもの決して良くないのだが背に腹は代えられない。

     なにも食うものがない。
     のろのろとコンビニへ。
     玉子、おにぎり、ハイボールなど買い込む。

     狭くて臭いけれどもなつかしの倒れ荘。
     これはこれで至福までもゆかないがフリーダムなり。


     
     

     

     

     

     





     

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    さあ日本へ

     
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     さあ日本へ

     スワンナプウム空港、さい果ての乗り場でようやく搭乗時間になりました。 
     おかげさまで優先搭乗させてもらい機内へ。
     座席は一番前だった。
     閉所恐怖症の私は通路側しか座りません。
     窓側にはスカーフの女性が座った。
     ムスリムの女性。
     後ろにやってきた仲間との話を聞けばタイ語ではない。
     その女性が今度は私に話しかけてきた。
     「どこから?」
     「タイから」
     めんどくさいのでそれだけ答えた。
     彼女は私の顔をみながら、まだなにか言いたそうだった。
     あんたの顔はどうみてもニホンジンよね。
     「タイと日本を行ったり来たり」
     「オオ・・・」
     「運び屋なんだ」
     「オオ・・」
     かなり体格の良い女性で、この椅子はわたしには狭いとかなんとか、
     「余分な料金を払ったのにそれほど広くないわね」

    ・・・・そんなこというならもっと痩せなさい。

     午後2時、出発時間になっても飛行機は動かず。
     アナウンスだと、乗客の荷物がなんとかといってるがよくわからない。
     飛行機は結局40分遅れて動き出した。

     私はすこし焦っていた。
     というのも関空到着が予定では午後9時55分。
     しかし遅れがこのままだと早くて10時20~30分くらいになる。
     南海特急の最終が午後10時55分だから、これは物理的に不可能かもしれない。もちろん11時台に急行電車が1,2本あるからそれでもよいのだがうまく地下鉄に乗り継げるだろうか。

     ああまいったなあ。
     機長よなんとか頑張って時間を稼いでおくれよ。
     私はそれこそイスラム信者のように床に額をつけて祈った。
     そんな私の真摯な姿勢が神に通じたのかもしれない。
     飛行機の遅れは約20分くらいにおさまったようだ。よく頑張ったね機長。
     しかしそれでも入国し荷物をピックアップして電車駅に走っても、10時55分にはやはりむつかしいだろう。

     飛行機のドアの前で開くのを待ったのは長いフーテン稼業で初めてだった。
     いちばんに飛行機を出てイミグレへ向かう。なんと電車には乗らないで歩く。そんなに遠くのゲートへ着かなかったのだ。これもある意味ラッキーだったのかもしれない。

     入国は日本人だから自動でかんたん。
     さあ、あとはラッゲージと税関。
     コンベヤは動き出していた。
     おお、うそかと思った。
     私のカバンが最初のグループで3個目か4個目に出てきた。
     ありがたいEXPRESS OUTです。

     税関もとくに何の質問もなかった。
     急いで南海の駅へ。
     10時50分、あと5分です。
     カードでチケットを買った。
     係員もなれたもので手早く処理してくれた。
     こうして最終の特急に飛び乗った。
     大阪市へはいったところの天下茶屋駅で迎えの弟と待ち合わせた。遅い時間なのにありがたかった。彼も兄貴が病院へ行かねばならいのを知っているから今回は気をつかって自分から迎えにきてくれた。

    南海空港線 特急
     


     なんとか戻りました。
     さあ休日明けには病院です。
     どんな宣告が待っているのか。
     盲腸いらい何十年ぶりかの手術だろう、おそらく。




     

     

     





     

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    空港の思い出はつきない

     
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     空港の思い出はつきない

     チェックインカウンターもいちばん外れにあったエアアジア。
     搭乗口も遠かった。
     歩いて歩いて倒れそうになりながらたどりついた。

     しかしどこの空港もわかりやすくなった。
     むかしはこうでもなかった。

     また妹の話になってしまいますが、むかしむかし妹がはじめてタイへやってきた。バンコクの空港はまだドンムアンでした。
    東北の町に住んでいた私は迎えにバンコクまで飛行機でやってきました。
    当時ドンムアン空港は国内線と国際線のビルも離れていて長い通路がありました。
     国内線でやってきた私はもちろん国際線の到着ロビーにゆきます。
     何時着の便だったか、とにかく夜につく飛行機でした。
     到着掲示板はもちろんありました。その案内通りの出口で待っていました。ところが30分、1時間、まだ妹は出てきません。
     もしかしたら乗り遅れたのかもしれない。
     不安になってきました。
     まだガラケー時代、SNSなど夢物語のときです。
     
     こりゃいよいよイミグレかどっかで聞いてみなければ、そんなことを考えたとき、私の持っていたタイの電話が鳴ったのです。
    「もしもしあんちゃん、どこにいるの」
     聞けば妹は別の出口から出てうろうろしたけれどなにがなにやらわからず、ついに誰かをつかまえて私に電話してもらったというのです。
    「空港で迷子になるなんて思わなかった。公衆電話も壊れているのばかりでさ、よくわからない国だよ」
     彼女にしてみればツアーではない一人旅なんて初めての経験でした。
     それにしても英語もろくにしゃべれないのによく話が通じたものだ。
     これも面白い話なのだが長くなるので割愛しなければなりません。

     私たちが次に乗る東北行き1便は朝の6時過ぎです。
     ホテルへ行く時間もなく、結局私たちは国内線のロビーで長椅子に寝そべって朝を待ったのです。
    「あんちゃん、オラどこさ売られてゆくだ」
     このときの思い出はながく語り草になりました。
     

     
     
     













     

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    タイの空港で思い出にふける

      
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     空港で思い出にふける



     まだスワンナプウム空港です。
     さっさと出発せんか、と怒られながらまた横道へ。

     ラオスのことを書いていてふと思い出してしまった。
     そういえば妹もラオスに、ビェンチャンだけだったが一緒にいったことがある。
     そのとき妹はただめずらしそうに観光客然としていたが、のちに彼女が連載していた新聞コラムでラオスの思い出にふれていた。

    「砂ぼこりの田舎町、これが首都だと知って驚いた。豊かさのちがいがそこかしこに。食べるものは川向うのタイ・イサーン地方とたいして変わりなくソムタムなどなじみのある料理が多かった。ただひとつだけおいしいなと思ったのはフランスパンだった。この国にはフランスに統治されていた歴史がある・・・・」

     総じてよいことは書いてなかった。
     あのときは何もいわなかったのにと、なにかのときに話した。

    「あ、そうだ、ひとつだけ不思議な思い出があるわ。自分の携帯で日本と話したのよ、それが何の手続きもしてなかったのにちゃんと通じてさ、それでね、あとで携帯になんの請求も来なかったのよ。あれはどうゆうこと? 日本国内の通話になったのかな」

     そんなことをいわれても私にもわからなかった。
     時代はまだガラケー全盛だった。
     たしかにメコン川のタイ側に立つとラオスの電話電波がローミングされるときがある、それは今も昔も同じだ。
     けれどどうしてその通話に請求がこなかったのかそんなことはわからない。それはまだミステリーのまま残っている。

     こんな思い出にふけってばかりで話が進まない。
     そろそろ乗り場に向かいましょう。














     

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    それじゃゆくぜと、まだ空港 ②

     
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     それじゃゆくぜと、まだ空港 ②


     腹減ったハラヘッタとうるさい妻。
     スワンナプウム2階のフードコートへ。
     ああ、みんなよく知ってるな、大混雑。それもそのはずちょうど昼飯時だった。
     だめだねこりゃ。
     私はこのとき身体の都合であまり食欲もなかった。
     かわいそうだったが妻にはバンコクでひとりランチをしてもらうことにした。

     長い距離を歩くのが大儀だった。
     どこが痛いというわけではなかったが、この原因はおいおい書いてゆくだろう人生二度目の手術にも関係してくるのです。
     (しかしこれを書いている時点ではまだ病院へも言っていないのですが)

     じゃ、まあ、いってくるぜ。君も気をつけて。
     エスカレーターでイミグレーションに上がってゆく私を妻が大きく手を振って見送っていた。いつもの別れと違い今回は日本で亭主を待っているのはおそらく手術だろう。
     明るく笑顔をみせている妻の心が痛い。


     すぐこんな写真が届いた。

    IMG-20230921-WA0008.jpg
     



     こんな別れをなんど繰り返すのか。いつも同じ場所で反芻する思い。しかし自分からこの生活を取り上げたら、きっと浦島太郎のように急激に老け込み車いす生活が現実になるにちがいない。それもよくわかっている。因果なものだ渡世人稼業は。

     手荷物検査はスムーズだった。
     しかしイミグレ出国はまた大混雑。
     窓口に余裕があるのになんだ人手がないのか。
     人気のアトラクションでもあるまいに龍踊(じゃおどり)のような行列。
     結局ここで1時間ほど、くねくねと待った。
     そしてやっとタイを出国した。

     あ、そうだいま持っているビザのことで聞いておかねば。
     12月にタイからラオスへ入りたい。ほんの数日だが、メコン川のイミグレでも問題なしにタイへの再エントリーができるか確認しておきたかった。
     大阪のタイ領事館では、まあ問題ないでしょうとはいったものの、領事部と入国管理は別セクションなので確信のある返事ではなかったのだ。縦割り行政の弊害はどこの国にもある。イミグレはタイ警察の管轄だ。

     中のイミグレオフィス、そのカウンターに三人の女性スタッフがヒマそうだった。今日はオーバーステイの罰金徴収もないようだ。
     真ん中の若いスタッフの前にいった。
    「すみません、ビザのことで教えてもらいたいのだけど。12月にタイへ戻ってきて時期ははっきりしないけどほんの数日ラオに入って、またタイへ戻ってきたいんだけど。その場合このビザで問題なしにまたエントリーできますか?」
    “はい大丈夫ですよ”
    「ほんの数日タイを出るだけなのよ」
     というのも例えば観光ビザなどでは複数回の出入りが難しいケースもあったりして、このようなルールが時々変更されるのだ。たとえばタイはビザなし30日ステイ可能だが28日くらいで陸路外国へ出てすぐ戻ってくればまた30日のステイが可能、と昔はこんなこともできたが今は難しくなった。まあそれはそうだろう、ビザなしで出たり入ったりされたのでは手数料が取れない。

     だから私の家族ビザでもタイを出てすぐ戻ってきた場合なにかいちゃもんをつけられるのではと心配したのだ。

    “あなたはこのビザを持っているからラオにいってすぐ戻ってきてもノープロブレムよ”

     問題ないようだった。
     これで安心して久しぶりのラオスにもゆける。
     田舎の子供たちも大きくなっただろう。あの時代はみんな鼻たれ小僧だった。
     そんなことを思いだしていると急に里心がついた。
     あちこちに田舎があるのはうれしいようでなんとなくさみしくもある。
















     

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    それじゃゆくぜとエアポート ①

     
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    それじゃゆくぜとエアポート ①

     バンコクの空港・スワンナプウムは混んでいた。
     かつての賑わいが戻っている。
     観光客でマスク姿はごくわずか。ほとんどいないといってもよい。
     タイ人のスタッフになると逆に大半がマスク着用。
     タイ国内ではマスクはまだ必需品。日本国内より着用率は高いだろう。
     しかしみんなコロナがもう怖くないのか。インフルみたいなものだからとむやみに怖れるのをやめたということか。


      エアアジア


     LCC・エアアジア。
     スワンナプウムではもっとも奥の端っこにカウンターがある。あとからこの空港にやってきたから仕方がないともいえるが、さっさと便利な旧国際空港のドンムアンにコロナ前のようにぜんぶ引っ越せばよいのにと私なんかはそのほうが近いのでいつも同じことを思ってしまう。
     このLCC、日本行きでドンムアン空港発着は福岡便のみ。関空便もなんとかならんのかな。
     そういえば今年の12月にタイへ戻るのは福岡発のエアアジアをとっている。また前日に福岡入りして観光だろう。12月の福岡、どこか見どころはあるかな。
     できたら志賀島などへ行きたいが、お互いに興味がちがうので亭主は遠慮。

     エアアジアの関空行きは、すでに長い行列ができていた。
     亭主の体を気遣って妻はレッドカーペットをチョイスしてくれていた。その窓口にはうそのように誰も待っていない。こんな不公平が許されるのが飛行機と船なのだ。
     チェックインして、あとで気がついたのだがラゲージにはEXPRESS OUTの大きなタグがつけられていた。これは目的空港で最初のグループとして流れてくる指定荷物。これが関空で大いに役立つことになるのをこのとき私はまだ知らなかった。

     






     

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    血圧 ソラちゃんも

     
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    血圧 ソラちゃんも

     最近降圧剤も一日おきに服用している。
     ずっと血圧が落ちついているので毎日では多すぎるかと自分で判断した。医者にいわすと、それはダメだというかもしれないが、問題ないのに一生服用を続けねばならないというのもなんだか納得がゆかない。
     タイにるときは日本とは逆で食生活がかなり塩分控えめになっている。これが日本に戻れば刺身などをやたら食うので塩分過多になるのだろう。それが血圧にも関係する。

     そういうこともあって血圧の計測も2,3日にいちどにした。

     私がバリバリと帯を腕に巻きつけているとソラちゃんがやってきた。
    「なにしてるの?」
    「血圧をはかるのさ」
    「ケツアツ?」
    「健康かどうかチェックするんだ」
    「ボクもしたいケツアツ」

     ソラちゃんは帯をまくスペースがないね。
     仕方がないから尻尾で測ろう。





    ソラちゃんの右耳に手術痕
    他のぬいぐるみとバトルでケガした
    ちい公ドクが縫ったのですが

    ソラちゃんの血圧 (2)


    ソラちゃんのけつあつもなかなかよいね
    ソラちゃんの血圧 (1)
     











     

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