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    母の命日ではなく誕生日だった

    日々のドキュメント 旅  アジア 
    09 /15 2017

      ยินดีต้อนรับสู่ Blog ของฉัน [ไดอารี่เกี่ยวกับเมืองไทย โดย Mr.Chiikou]
      ようこそいらっしゃいませ、ありがとうございます


    cake.jpg

     
     9月15日付のトピックを書こうとして思い出した。
     この日はたしか母の誕生日だった。
     
     9月15日、いつからかこの日が敬老の日となり、毎年のお祝いは誕生日と兼用で行ったものだ。
     日にちが覚えやすいので子供としてはありがたかった。

     母も亡くなり敬老の日も2003年からだそうだが9月の第3月曜になった。ということは今年は9月18日が敬老の日で日本は祝日となる。

     誕生日になにをしたかよく覚えていない。
     考えてみれば晩年は毎日が誕生日のお祝いみたいなものだった。子供としてなにかをするのが当たり前になっていた。

     もっともちかいところでは、母が要介護になってから、身内が集まり仕出し弁当でお祝いした、ちゃんとしたお祝いとしてはそれが最後だったかもしれない。

     晩年に介護のまねごとをする期間があった。
     食事から入浴まで必要なことはできたが、多くはヘルパーさんに助けていただいた。

     そんなとき、たまに母の好物だったちらし寿司などをつくった。
    「わあこんなのも入ってるのね」
     うれしそうに具をひとつひとつ箸でつまんでしげしげとながめていた姿が忘れられない。

     不出来の息子としては母の記憶は数え切れない。
     なかでも、まいったなと思うことをひとつ。

     まだドルが360円だった時代、母は知人たちとハワイへ出かけた。
     ハワイが夢の島だった良き時代だ。
     飛行機だって途中どこかの島で給油が必要だったそんな時代。

     母が帰国する日。
     息子はお土産の時計を目当てに駅まで迎えに行った。
     地方の終着駅。
     車の中から駅の階段を見ていた息子は、そのままアクセルを踏んで逃げ出そうと考えた。

     目に映ったのは、階段を下りてくる派手なおばさん。
     赤やピンクのムウムウはハワイがそのままやってきたようで、ご丁寧にも胸元にはレイのようなものまでぶら下がっている。
     
     あとで尋ねた。
    「そんな恰好で恥ずかしくなかったか?」
    「どうしてよ。なにも悪いことしてないわよ。むこうじゃみんなこれよ」

     そりゃそうだけど、ここは日本、それも田舎町だよ。
     息子は口をつぐむしかなかった。

     母については書けばキリがない。
     一冊おもしろい本ができるかもしれない。

     豪傑、ストロング・ハート、彼女が伊丹空港で動きはじめたYS11を手を振って止めた話。
     うちの魔女が大好きな話のひとつで、ひっくり返って笑うのだが、これはまたいつか機会があれば。

     とりあえず、天国の母上様、
     お誕生日おめでとうございます。
     息子や娘はなんとか元気で暮らしております。
     だから、まだ呼ばないでくださいませ。

     

     

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    ロウソク10本。お母さんって10歳名の。若いねー。

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