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    アユタヤを語る前に 歴史の時間

    日々のドキュメント 旅  アジア 
    10 /03 2018
     
     せっかく国家遺跡アユタヤに来たのだからそろそろ歴史についてもふれてゆかねばと思う。

     歴史というのは好きな方にはどこまでも深く興味の尽きないものであるが、その一方で興味のない方にはまるでおもしろくもなんともないお話になってしまう。

     で、ちい公としてはほんの上っ面のページだけをちらっとお見せする程度にしておこうかなとも考えるのだが・・・。

     ともあれアユタヤの主要観光ポイントについては今週末あたりに主なポイントには出かける予定にしているので、また写真などとともに掲載します。

     タイ王朝の変遷について主なところを上げるとすれば
     ① タイ北部 チエンマイに残るラーンナー王国
     ② タイ中部 スコータイ王朝1240~
     ③ タイ中部 アユタヤ王朝1351~1767
     ④ タイ・バンコク現王朝

     時代順に並べるとざっとこんな具合になる。


     
    ThaiKingdom.png


     スコータイ王朝期3代目の王ラムカムヘーン(在位1279-1298年頃)の時代にタイ文字の基礎が考案された。碑文がスコータイ遺跡に残されている。
     遺跡群がスコータイには多く残り歴史公園となっている。

     北部チェンマイも古代遺跡観光地としてはわるくないのだはあまりに観光客が多いので、あたしとしてはスコータイをお薦めし、そしてそのあとに歴史をたどるようにアユタヤに下っていただければと思うのですが。

     スコータイ王国は北部ランナー王国とも協定を結び平和な時代もあったのだが、ラムカムヘーン以後は内紛などで衰退しアユタヤ王朝にも吸収される結末となっている。

     また北部チェンマイを中心としたランナー王国も結果的には西方ビルマの軍門に下り王朝としては滅亡した。
     
     アユタヤ王朝(1351年 - 1767年)
     日本の年表でいうと室町時代から安土桃山そして江戸時代に該当する。
     チャオプラヤー川を利用し遠くはオランダなどヨーロッパ諸国やアジアでは琉球、日本などと、あるいは東西南北を結ぶ陸路の要衝にあって北方中国とも結ぶ交易で大いに栄え莫大な富により一大文化を形成した。

     実際に日本人が村を構築したり、山田長政に代表される傭兵が活躍するのは主に日本年表の江戸時代になってからのことであるが、これについては現地取材のあとにシリーズで掲載したい。

     時間があればこの時代にタイムスリップして主人公とともにお話をつくってみたいのだがさてどうなりますか。



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    ちい公

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    空ゆく雲のようにいつも自由でありたい。もとノラのちい公がお届けするごく私的な日常と愛する国そして人々への思い