
一日目の夜。
夕食を終えて彼らのホテル近くまで戻ったとき、これから人形を見に行きたいという。
これは事前にオーダーされていた予定。
子供たちの間で人気の人形メルちゃんを日本で買うのだという。バンコクで買うと数倍の値がついているものもあるらしい。もちろんミルキーの注文。
チェーンの家電量販店にキッズコーナーがあってそこでメルちゃんも売っている。
午後8時過ぎ、買い物する時間はある。
駅裏のその店までまたみんなでぞろぞろ歩く。
睡眠不足の上、かなり歩き、あたしもそうだがみんな疲れているが子供には弱い大人たち、おじさんもなにも文句は言えずトコトコ。
目的のコーナーはすぐに見つかった。ミルキーはもちろんお友達からも買ってきてほしいと頼まれており親はあれこれ選ぶのに大忙し。
ミルキー自身は自分のほしいメルちゃんはすぐに確保。それがすむと今度はすぐ近くのメルちゃんグッズを物色しだした。
もちろんあたしは知らなかったのだがこのような人形は本体だけでなくその他様々な付属品、着替えセットだとかお食事セットなんていうものも別売になっているようだ。
ミルキーはまず三つほど別売のセットを持ってママのところへ。このようなときパパは一切口出しせずほかの電気製品をながめている。これがこの家のスタイルらしい。
「ママ、メルちゃん買うと、これがなくては」
「ダメダメ、メルちゃんだけで我慢しなさい」
ママはにべもない。
強い口調で拒否されたミルキー。スッと別売セットのコーナーへ戻った。
おや? 簡単にあきらめるのか?
いやいやそんなわけはない。
しばらく手に持った三つを見比べていたが一つだけ棚に戻しふたたびママのもとへ。
「ママ、これとこれは絶対要るわ」
「なに? いくらなの?」
頼まれた人形選びに忙しいママはそれでもスマホでバーツに換算。
「ダメよ。メルちゃんだけでいいでしょ」
ミルキー、こんどはすこし不満そうにちょっと肩をすくめ、また戻る。
あたしはニヤニヤしながらながめていた。
そんなにほしければ買ってあげてもいいのだが、それこそ余計なお世話で教育方針に口出しはできない。
感心するのはバンコクでもそうだがミルキーはデパートで一緒に買い物しても自分がほしいものを親が拒否したからといってけっしておじさんやおばさんにねだったりはしない。もしわたしたちが買ってあげるよと言っても親がOKしない限り買ってほしいとは言わない。それはいけないことだとわかっているのは親の教育なのだろう。
さてミルキー。
棚の前で二つの付属セットを持ったまましばらく考えているようだった。そしてゆっくりふたたびママのところへ。
「ママ、これお食事セットよ、なにも食べないで生きてゆけないでしょ。このお着換えセットもなくてはいつも同じ洋服だわ」
しかしママはまたもや「ノー」
するとミルキー、棚へ一つだけ戻した。
「ママ、これ。お食事セットだけ。最後だから、もうなにも要らないから。メルちゃんかわいそうでしょ」
結局ママは最後のひとつの提案に、いちど計算してからしぶしぶオーケーしたのだった。
最後まであきらめない、そして大きな声で駄々をこねるわけでもなく、静かな交渉だった。
もしかしたらミルキーはこのひとつだけでも買ってもらえればもうけものくらいに考えていたのではとおじさんは思ってしまった。最初三つを持ってゆき次第に数を減らしてゆく交渉術はなかなかのものだ。
ふと自分の幼いころを思い出してしまった。
まだ小学校へ入る前の頃、町の店でみたカメラ。まっすぐ自分を見ているレンズ。それは、それまで持っていたジープのおもちゃなどとは比較にならないほどすごい宝物だった。
「あれ買ってよ」
まだ家の事情もわかってなかったのだ。もちろんそのカメラの値段など知らなかった。ただほしかった。
挙句の果てはお店の前で座り込みグスグス泣いたことをまだ覚えている。
そのことは後年、母が元気なころ思い出話にしていたくらいだ。
「あんたは子供のころから高いものを欲しがって困ったもんだよ。贅沢なことを言うお坊ちゃんみたいな子供だった」
ミルキーの時代。親はそれなりに頑張って稼いでいるがけっしてなんでもいいよと買い与えているわけでもない。
ただチビッ子ミルキーの交渉に驚き感心した夜だった。


