

ラオスも何度か訪れている。
しかし、古都ルアンパバーンやクアンシーの滝のような有名観光地には行かなかった。興味は他のことにあったのだが、それは今は書けない。
唯一ラオスで観光地らしい場所を訪れたといえるのは首都ビェンチャンと有名な寺タートルアンくらいだろう。
ビェンチャンには凱旋門に似せた塔があって上に上ることができる。そこからは高い建物がほとんどない市内が一望できる。
なんにもない砂ぼこりの町だった。これが首都なのかと初めての時は面食らった。高いビルといえば観光客用のホテルくらいしかなかった。
町を歩くとたしかにフランス統治時代の名残かカフェがありフランスパンが売られていたが、あとは町並みもタイの田舎町とおなじだった。通過キップだけでなくタイバーツも使用でき、人々はタイ語も理解できるし話せる。
ラオスの法律ではどうなのか定かではないが、多くの人々はタイのテレビをよく視ているし、逆にメコン川を挟んでラオスに近い地域ではラオスのほとんどのチャンネルが視聴できる。
しかしこれは今では衛星放送が当たり前だからタイのどこにいてもラオスチャンネルもあればインディアの歌や踊りも視ることができる。
言語でいうと、そもそもタイの東北部(イサーン)はその昔メコン川を越えてきたラオス軍に占領され、時のタイの王様がラオスを押し返しメコン川を国境と定めたという歴史もある。
現在もイサーンの人々が使っている言葉は純粋なタイ語ではなく、土地の人々は自分たちをイサーン人と呼び、言葉はイサーン語だと言う。彼らの言語とラオス語はかなり似ている。
そのためタイ東北部イサーンとりわけメコン川に近い場所に住む人々はラオス語を理解し話せる人も多い。
これは侵入してきたラオス人が残していったものか、それとも国境などない時代からこの地域で使われてきた言語が別々の国に分かれて変化していったものか、想うに、おそらくそのいずれかだろう。
話が予定の内容とは違ってきた。
今日はこのへんでお開き。