物質転送 夢の彼方へ
日々のドキュメント 旅 アジアこの時代は便利といえばよいのか、それともすべてが簡単になったというべきか。
生活の中で重要な部分を占める仕事において大小にかかわらずコンピューターがなくては夜も日も明けない時代になって久しい。
ワープロという機械が日本で発売されてすぐから書くという作業はキィボードを打つことに変わってしまった。
もちろん手で書くということを忘れてはならないと自分に対する戒めの意味もあってペンを使う作業をあえて行う時間を設けるようにしてきた。
しかし悲しいものだ人間というのは。
あとで読み返して必要な事項を使おうというとき、さあ困りました、自分の書いた文字が判読できないときた。
まるでヘブライ文字のような不可思議な書体を必死に解読する作業がまた大変なのだ。
便利な時代に慣れてしまい、その結果として多少ミラクルなことが起きても驚かなくなってしまった。
たとえばこんなことはどうだろうか。
三日前の夕食がとても美味しかった。
それで今日はもう一度それが食べたいね、ということになった。
そのときの食事はもちろんピクチャーで保存している。
ポンポンとキィボードを叩く。
ほんの数分で、いや数秒かもしれないがキッチンのテーブルへ行ってみると写真のままの食事が湯気を立てて並んでいる。
この仕組みがよくわからない。
パソコンがつながっているのはネット回線だから、これらの食事はネットを経由して届けられたものに違いない。
しかし、どうしてだ?
どこから?
レストランから?
そうこうしているうちに今度は自分自身が数日前にポンと戻ったり、数日後に行ってみたりできることに気がついた。
ここで考えた。
タイムスリップのようなこんなことができるのであればもっと先へ行けないものか。
自分自身が病気か何かで最後を迎えるときを見てみたくなった。
もしそれが可能ならば倒れる寸前の日時に行き、もっと生存できるようななんらかの対処が可能ではないかと考えたのだ。つまり運命を変えてみることに等しい。
まだまだこの世に未練があることを今更ながら思い知ったような話だが、結論をいうとこれは残念ながらそこまでジャンプすることはできなかった。スリップ出来てもせいぜい3日前後で、食事の再現もおなじことだとわかった。
いかがでしょうか。
なんとなく理にかなっていると思わないだろうか。
ある日の朝、目覚めてすぐにメモしておいた夢の記録から書き起こしてみました。
習性とはおかしなもので、このような夢の記録がたくさんあり、そのうちのいくつかは夢だと言わなければ創作だと錯覚しそうな物語になっている。
折をみて夢にまつわる考察なりをまた書いてみたいと思う。
きょうもおつきあいありがとうございます。
コメント
2019-01-22 08:08 ピオの父ちゃん URL 編集
Re: ピオの父ちゃん 様
だからこういうことが可能になるのだ
違うか意味が・・・・
2019-01-22 08:13 ちい公 URL 編集