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    アユタヤの寺で祈るちい公

    日々のドキュメント 旅  アジア 
    03 /07 2019


    アユタヤ マップ

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     昨日に続いてアユタヤのお寺
     ワット・プッタイサワン( Wat Putthai Sawan)から。

     敬虔な仏教徒である知人は貝をチャオプラヤー川に放って祈った。
     生き物の命を救うことで徳を積み来世はよりよき人生がおくれるよう祈る。

     あたくしは、まあ彼の写真でも撮っておこうと気楽に構えていたが、よくよく考えてみるといろいろなお寺に行き手を合わすことはあるけれど賽銭など出してタイ人の言うタンブンなどながくしていないことに気がついた。

     これはまずいのではないか。
     そう思って川の入り口にあるタンブン用の品物を売っている店へ戻った。
     
     彼と同じような貝では能がない。続けておなじことをしたのでは功徳も薄まるというものだ。
     それで、ビニール袋に入った小魚を選んだ。
     なんだろうナマズの一種だろうか。よくみるとオタマジャクシにも見える。
    「まさかカエルの子供じゃあるまいな。35バーツとはエラ安ではないか」
    「カエルなどではありません、魚です」
     同行者に怒られた。

     バケツを貸してくれたのでオタマジャクシみたいな小魚を移す。それと同時に小片が渡される。おそらくパーリ語の祈りの言葉だろう。

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     このような祈りの言葉はタイ人ならだれでも知っているようだ。
     あたしはといえば祈りの最後に必ず唱える「サートゥ」しか言えない。確かめていないので定かではないがおそらく「南無阿弥陀仏~」みたいなものだ。

     川べりへ降りる。
    「大きな魚が来るからもっと川下へ行かないと」
     なるほど。
     けっこう大きな魚たちが寄ってくる。
    「これはお前たちの餌じゃないんだ」
     石ころを投げて追っ払う。
     こんなことをしていてバチが当たらないのか気になったがもう遅い。

     魚の姿がない場所で両手を合わせる。
     背後で紙切れの経文を誰かが読んでくれる。
    「サートゥ」
     最後だけ合わせた。
     お経はこの部分しかできないが祈ることはいっぱいあった。全部言えた日本語だ。なんという業の深さであるか。

     川に放す。
     チョロチョロと尻尾をふりながら小魚は深みに消えていった。
    ・・・もう捕まるな、そして大きな魚に食われるな。そして、川の神様か仏様に会ったら忘れずに言うのだ、ちい公はすばらしいイープン(日本人)だから彼の健康と金運を押し上げてくださいとな・・・。

     
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    【すんまへん、この項つづきます】



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    コメント

    非公開コメント

    No title

    日本の「放生会」と同じなんですね。
    でもこれ、資源保護でもあるような気がします。

    Re:雨宮清子(ちから姫) 様

    > 日本の「放生会」と同じなんですね。

    そうですね。
    行っていることは同じでしょうが
    その精神はどうなのでしょうか。

    タイ仏教でいうところのタンブンにはいろいろなやり方がありますが、
    私としてはこのような生き物を放してやるというようなささやかなものに
    魅力を感じます。
    大金をお供えすれば坊さんたちは喜ぶでしょうが
    それが功徳の大小になるとは思えません。

    こんばんは

    生の循環?を見るような思いです。

    Re: つばさぐも 様

    つばさぐも様こんばんは

    > 生の循環?を見るような思いです。

    まさしくおっしゃる通りですね
    なぁ~む~~

    ちい公

    ようこそ! 
    空ゆく雲のようにいつも自由でありたい。もとノラのちい公がお届けするごく私的な日常と愛する国そして人々への思い