陽が西に傾いてきた。
楽しい時間。

近くに橋がないのだろう
バイクや人をのせて渡し船が忙しい

行ったのは川のそばのレストラン。
アユタヤは、とくに歴史地区は川に囲まれるような地形なので川べりに飲食店が多い。
のどが渇いていたのでまずビール。もちろん象さんビヤ・チャーン。
知人はウィスキーを用意していた。
タイ人の多くは薄いソーダ割りを飲む。それを何杯も呑む。
あたしは薄いソーダ割りがどうもいけない。色のついた水を飲んでいるようで美味しいと思えない。
彼らは何杯も飲みながらしゃべる。それがながい。話の中味はほとんど仕事に関することばかり。
いずこも同じだとあらためて思う。
あっしには関わりのないことでござんす。
ただ飲みそして食べる。
「水割りくれ」
テーブル担当のボーイがソーダ割りを作る。
「ウィスキーをもっと、まだまだ、よしオーケー」




チャオプラヤー川をひき船がゆっくり上ってゆく。積み荷は塩だ。バンコクの南の県で製造された塩を北へ運ぶ。
船は時間がかかるけれども輸送コストが安い。まだまだ需要はあるようだ。
中国人ツアーを乗せたクルーズ船がにぎやかに下ってゆく。
世界のどこでもいまや中国人が闊歩する時代。彼らのパワー無くして観光産業はもはや成立しないのではないかと思う。

バンコク空港でも、イミグレーションでは中国人専用ゲートが何列も設けられている。比べて外国人ゲートの少ないこと。
・・・いったいここはどこなんだ。
いつも思う。

何百年もむかしから変わらぬチャオプラヤー川の風景。
かつては日本の船もこんなところまでやってきた。
多くの日本人がシャム(当時のタイ)に憧れと大いなる夢を抱いて荒海を越えてきた。
徳川の時代、安寧の世がつづいた。主をもたぬサムライには厳しい日々。大望を抱くものは海外に目を向けたのだ。
夕闇がゆっくり忍び寄ってきた。

食事を楽しむ人々のざわめきが背後から聞こえてくる。
川面に目を凝らす日本人にそれはまるで数百年前のアユタヤ時代。
様々な国からの人々で賑わう港町の喧騒もこうであったに違いない。
