ある土曜日。
久しぶりにバンコクからミルキーファミリーが来てくれた。
アユタヤの町までも出かけるのが容易ではないあたしたちを連れ出そうと考えてくれたのだ。

まずレジデンス近くのお寺へお参り。
アユタヤ市内のお寺は観光寺が多く、町の外にある静かなお寺へ行ってみようということになったらしい。
妻と妹があらかじめ打ち合わせをしてお供えを買ってきてくれていた。内容はお寺で役に立ちそうな薬類がメインになっている。
これをタイではタンブンといい徳を積むひとつの行為とされている。
二家族で1000バーツのお供え。お金の多寡を云々するのは品がないともいえるが、しかし一家族2000円近くのお供え物はタイにあってはけっして少なくはないと思うのだ。
結局タンブンというのは徳を積み、ひいては自身が仏陀のより近くへ行くためという小乗仏教の教義からきているものであり、少々お供えが多く感じてもそれは大乗仏教徒である日本人のあたしがあれこれ言うべきものではないとも思う。
お供えを差し出しありがたいお経を唱えてもらった。
長いこと座るのかと覚悟していたが意外と短くて、これはお寺の坊さんにもよるものだろう。
最後にピャピャっと水をかけられおしまい。
写真を忘れていたのであわてて、
「写真いいですか?」(タイループ、ダイマイ、カップ)
これくらいのタイ語は朝飯前、いや今はもう昼飯前だ。

キリスト教でいうところの聖水みたいなものだろう、同じにしてはどちらの宗教にも申し訳ないが、いつもこうして坊さんにお経を唱えてもらった後にはこのような容器に入った水をもらって近くの樹木に還す。これも小乗仏教でいうところの命を助けあるいは育み、そのことが自身に徳となって還ってくるということなのだろうか。
と思っていたが、この水はこの世にいない自分たちの先祖に送るという意味合いもあるそうな。


めずらしいなお前がお参りとはな
嫁にひかれて寺参りか

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