
夜の定時通話。
毎日おなじでは飽きがくるのでときどきはこんなことになる。
Hello Hello
This is Japan This is Japan
Hello Hello
This is Thailand
Can you hear me ?
まるで一時代前のスパイだ。
ネット環境も完ぺきな現代にあって、このような呼びかけは映画の世界にしかない。
「オーケー、オーケー、もういいよ」
すると妻が突然、
「あなたお皿を割ったそうね」
「なんだ藪から棒に」
とはいうものの実際はこんな言葉を使ってはいない。藪から棒に、なんて英語は知らないし、もちろんタイ語でもわからない。
「ああ森のカフェか」
「そうよ。読んで笑ったわ、ほんとおもしろいね」
「クーミンがおもしろいのだ。あたしは一所懸命にやってるよ」
「がんばってね。楽しみだわ」
註・クーミンとは、ちい公が居候することになった森のカフェの登場人物ではなく、あたしたちが勝手につけた作家の名前。
現実と仮想の境界がますます曖昧になってくるようで、面白くはあるが、ある意味において仮想世界にゆだねる心地よさに麻痺してしまいそうな心配もある。
「あっそうそう、今日ねこんなことがあったの」
よかった、話は人間世界の出来事に変わった。
あたしの不在も長くなってきた。
もしかすると所帯を持ってからの最長別居期間になるかもしれない。
いつもそれについて一言も不満を口にしない妻だが、日々の暮らしのリズムを分かっているだけに、ふと不憫に思うときがある。
住まいとオフィスそして時々の買い物。さしたる変化もない日常が過ぎてゆくだけ。だからよけいに毎夜の定時通話を大切に思っている気持ちが伝わってくる。
亭主の表情を見逃すまいとモニターを見つめる妻はときどき真剣なまなざしになるが、たいていは大声で笑っている。
考えてみれば会話にそれほどシリアスな内容はなく、日々の出来事をどちらかが面白おかしく話して聞かせるだけなのだ。
いろいろな夫婦のスタイルがある。
自分たちのそれが自慢できるものだとはけっして思わない。妻に精神的な負担をかけひたすら忍耐を強いているだけともいえる。
申し訳ないと思うが、どうにもならなず、ただ日々思うのは無事でいてほしいということだけ。
思いやるだけではなにもしないのとおなじ。こんな亭主ならいない方がましかもしれない。ふと自嘲気味にそんなことを考える。
青かった空が午後になって梅雨空に戻った。
この湿度はやはり日本の梅雨だ。
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