


タクシーが大通りから外れた。
静かな住宅街に入ってゆく。
ひつまぶし屋に向かっているはずなのだが、名店は隠れ家的に閑静な住宅街にあるのかもしれない。
くねくねと細い道を幾度か曲がりそして停まった。
「すみませんね。駅のほうからだと右折禁止になるのでこのような経路になりました」
それでわかった。
目的の店は大通りに面してはいるのだが反対側車線からは直接曲がっては来れないということだ。なので手間のほうの信号を右折して迷路ゲームのようになったのだ。
目的のひつまぶしの店。古い大きな一軒家。ちょっとした料亭の雰囲気。建物を囲んだ壁沿いに行列が出来ている。
おっ!
先頭にちょこんと腰を下ろしているかわゆいおねいさんは、まさしくとっとちゃん、お久しぶりの笑顔。
長く待つことを考慮して自分で小さな椅子を持参したらしい。8時過ぎに来たとしても受付開始が10時半、3時間近く待つことになる。なんという忍耐力。とてもじゃないが真似はできない。
遠くからやってくる私たちのために、有難く感謝以外に言葉がない。
しかしある意味、このようなことを簡単にやってしまおうというその情熱あるいは意識、は昨日今日にできたものではなく長い時間をかけて培われたもので、だてに世界のあちこちを飛び歩いてきたわけではない。まさしく旅と食のプロフェッショナルという言葉がふさわしい。
あらためて思いつき企画に応じて下さったとっとちゃんそしてさくらさん、お二人に心より感謝したい。
受付開始の10時半まで少し時間があった。
列の最後尾がどうなってるのか見に行ったことぶきタカ君が戻ってきた、
「すごい行列だよ」
言って首を振った。
名古屋市内だけではないだろう。
我々のように遠方からこの有名店を目指してきた人々が少なからずいるはずだ。何人かにインタビューしてみたいなと思ったが、せっかくの旅だ、野暮なことはやめておこう。イヤだイヤだ、こういうのを貧乏性というのだ。
10時半になり受付が始まった。
食事開始の11時に予約を取っていただいた。
ここにきて気分が高揚するのを感じた。明治の初めに開業という歴史もさることながら、このような有名店のもつプライドや格式といったものは提供される食事だけではなく訪れた者になんらかのよい影響を与えてくれる、空気がちがうのだ。
京の宮川町で初めて遊ばせてもらった日を思い出した。前に小さな川が流れるお茶屋というのだろうかそんな場所だった。
あのとき感じたオーラのような不可思議な刺激はいまも心の奥底に灯のようなかたちで静かに横たわっている。これはきっとあのとき歴史の力が偶然にもたらしてくれたものだ、そう信じている。
もしかするとおなじようなことが今日あるかもしれない。
それはこの場所が有名店であるというだけでなく、まして辺りがすでに熱田神宮の結界の内ならば何が起きても不思議ではないのだから。
「まだ時間があるから宮の渡しに行きましょう」
これはとっとちゃんの計画の内。
そうだそうだ有名な渡し跡が公園になっているらしい。
渡しと聞いてすぐに歌が出る単細胞男、
~連れてにげてよぉ~ ついておいでよぉ~
あの、もしおにいさん、それは矢切の渡しじゃありませんこと。
To be Continued
今日もご来店誠にありがとうございます。
感謝申し上げます。
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