宮の渡し跡公園から歩いて蓬莱軒へ戻る。
予約の11時までまだ少し。
歩きながらみんなは花の話題で盛り上がっている。
「この花はね、○○とおなじように見えますけど名前は違いますよ。ほれこの花のサイズがすこし違うでしょ」
説明しているのはことぶきタカ君。
彼は驚くほど花に詳しい。道を歩いていて見かけるような花は、栽培あるいは自生いずれかを問わず、質問すればほとんどを答えてくれる。
そういう彼なのでブログには花の写真が多い。ネタ不足を埋めるために花の写真を撮ってるのかと思っていた。が、じつはそうでもなかった。
写真と花、これらに彼が親しみを覚えるようになったのは育った環境にルーツがあった。
彼の生まれ育った地では、お母さんがいつもたくさんの花を育てていたという。物心ついたときから花に囲まれていたのだろう。花が豊富にある生活が少年にはごく当たり前で、それがより知識を深める一助となったことは否めない。
またそれらを記録するための写真について、これは彼の父親が大きく影響している。
父親は趣味で写真を撮っていた。自宅に小さな現像場所をしつらえるほどだったから、そんな父親をみて幼心にカメラへの興味が芽生えたのはごく自然のことだといえる。
カメラについては、どうしてかあたしも小学校入学前から興味があった。身内の誰かがカメラを持っていたわけではない。どこでどんな影響を受けたのかわからないが、ただカメラがほしかった。
いくつの頃だろう。6歳か7歳くらいだったろうか。
母に連れられた町でカメラ屋、写真店といったほうがよいのか、そこでウィンドウに飾られているカメラを見た。それほど大きなものではなく自分のような子供でも扱えそうなコンパクトなカメラだった。それでもすごい宝物のようにも思えたが、しかし価格についてはまったくわかっていなかった。
「あれ、ほしい」
いつもは大人しい子供で、みんなにお利口さんと言われるのが当然のような子供だった。
だがこのときはカメラのショーウィンドウの前から動かなかった。
たしか母が、ダメ、あれは大人用のカメラだから、そんなことを言った。
ほしいのに買ってもらえない。悲しくて涙があふれた。
午前中の太陽の光でカメラが浮かびあがり輝いていた。
記憶はそれだけしかない。
後年、母が大人になったあたしを見て時々口にした思い出話、そのなかにこの時の話題が必ず出てきた。
「あなたはいつも高いものをほしがったね。カメラのときはほんとにしつこかった。とても子供に買ってやれるようなものではなかったのに、あなたはお店の前から動かなかったのよ」
けれども母は後にカメラを買ってくれた。
町の店で泣いてぐずった頃から何年か後、小学校の高学年になっていた。けっして高いものではなかったろうが、それでもフィルムを入れて撮影するとちゃんと写った。
町の写真屋から届いたモノクロ写真を見ながらいっぱしのカメラマンになったような誇らしい気分にひたったものだ。
今日、一緒に歩く女性二人もことぶきタカ君同様、花に詳しいようだ。
チューリップやアサガオ、ヒマワリくらいしか名前の出てこないあたしに言わせると、花に詳しいというのはその方の心の余裕を表すバロメーターでもあるのだ。
三人が話す花の内容はあたしにはほとんど理解できない。
だからなのか花を撮ってみましょうとは思わない。これは心が貧しいのかもしれない、余裕がないのだ。
三人さまと違って目下のあたしの心配は、これからひつまぶしの店に入って、さあ全部美味しく食べられるかな、そんなことだった。新幹線で弁当を食べてから2時間も経っていないのだから。
To Be Continued
今日もありがとうございました
お忘れ物のありませんように
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