それじゃゆくぜと、まだ空港 ②
腹減ったハラヘッタとうるさい妻。
スワンナプウム2階のフードコートへ。
ああ、みんなよく知ってるな、大混雑。それもそのはずちょうど昼飯時だった。
だめだねこりゃ。
私はこのとき身体の都合であまり食欲もなかった。
かわいそうだったが妻にはバンコクでひとりランチをしてもらうことにした。
長い距離を歩くのが大儀だった。
どこが痛いというわけではなかったが、この原因はおいおい書いてゆくだろう人生二度目の手術にも関係してくるのです。
(しかしこれを書いている時点ではまだ病院へも言っていないのですが)
じゃ、まあ、いってくるぜ。君も気をつけて。
エスカレーターでイミグレーションに上がってゆく私を妻が大きく手を振って見送っていた。いつもの別れと違い今回は日本で亭主を待っているのはおそらく手術だろう。
明るく笑顔をみせている妻の心が痛い。
すぐこんな写真が届いた。

こんな別れをなんど繰り返すのか。いつも同じ場所で反芻する思い。しかし自分からこの生活を取り上げたら、きっと浦島太郎のように急激に老け込み車いす生活が現実になるにちがいない。それもよくわかっている。因果なものだ渡世人稼業は。
手荷物検査はスムーズだった。
しかしイミグレ出国はまた大混雑。
窓口に余裕があるのになんだ人手がないのか。
人気のアトラクションでもあるまいに龍踊(じゃおどり)のような行列。
結局ここで1時間ほど、くねくねと待った。
そしてやっとタイを出国した。
あ、そうだいま持っているビザのことで聞いておかねば。
12月にタイからラオスへ入りたい。ほんの数日だが、メコン川のイミグレでも問題なしにタイへの再エントリーができるか確認しておきたかった。
大阪のタイ領事館では、まあ問題ないでしょうとはいったものの、領事部と入国管理は別セクションなので確信のある返事ではなかったのだ。縦割り行政の弊害はどこの国にもある。イミグレはタイ警察の管轄だ。
中のイミグレオフィス、そのカウンターに三人の女性スタッフがヒマそうだった。今日はオーバーステイの罰金徴収もないようだ。
真ん中の若いスタッフの前にいった。
「すみません、ビザのことで教えてもらいたいのだけど。12月にタイへ戻ってきて時期ははっきりしないけどほんの数日ラオに入って、またタイへ戻ってきたいんだけど。その場合このビザで問題なしにまたエントリーできますか?」
“はい大丈夫ですよ”
「ほんの数日タイを出るだけなのよ」
というのも例えば観光ビザなどでは複数回の出入りが難しいケースもあったりして、このようなルールが時々変更されるのだ。たとえばタイはビザなし30日ステイ可能だが28日くらいで陸路外国へ出てすぐ戻ってくればまた30日のステイが可能、と昔はこんなこともできたが今は難しくなった。まあそれはそうだろう、ビザなしで出たり入ったりされたのでは手数料が取れない。
だから私の家族ビザでもタイを出てすぐ戻ってきた場合なにかいちゃもんをつけられるのではと心配したのだ。
“あなたはこのビザを持っているからラオにいってすぐ戻ってきてもノープロブレムよ”
問題ないようだった。
これで安心して久しぶりのラオスにもゆける。
田舎の子供たちも大きくなっただろう。あの時代はみんな鼻たれ小僧だった。
そんなことを思いだしていると急に里心がついた。
あちこちに田舎があるのはうれしいようでなんとなくさみしくもある。
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