さあ日本へ
スワンナプウム空港、さい果ての乗り場でようやく搭乗時間になりました。
おかげさまで優先搭乗させてもらい機内へ。
座席は一番前だった。
閉所恐怖症の私は通路側しか座りません。
窓側にはスカーフの女性が座った。
ムスリムの女性。
後ろにやってきた仲間との話を聞けばタイ語ではない。
その女性が今度は私に話しかけてきた。
「どこから?」
「タイから」
めんどくさいのでそれだけ答えた。
彼女は私の顔をみながら、まだなにか言いたそうだった。
あんたの顔はどうみてもニホンジンよね。
「タイと日本を行ったり来たり」
「オオ・・・」
「運び屋なんだ」
「オオ・・」
かなり体格の良い女性で、この椅子はわたしには狭いとかなんとか、
「余分な料金を払ったのにそれほど広くないわね」
・・・・そんなこというならもっと痩せなさい。
午後2時、出発時間になっても飛行機は動かず。
アナウンスだと、乗客の荷物がなんとかといってるがよくわからない。
飛行機は結局40分遅れて動き出した。
私はすこし焦っていた。
というのも関空到着が予定では午後9時55分。
しかし遅れがこのままだと早くて10時20~30分くらいになる。
南海特急の最終が午後10時55分だから、これは物理的に不可能かもしれない。もちろん11時台に急行電車が1,2本あるからそれでもよいのだがうまく地下鉄に乗り継げるだろうか。
ああまいったなあ。
機長よなんとか頑張って時間を稼いでおくれよ。
私はそれこそイスラム信者のように床に額をつけて祈った。
そんな私の真摯な姿勢が神に通じたのかもしれない。
飛行機の遅れは約20分くらいにおさまったようだ。よく頑張ったね機長。
しかしそれでも入国し荷物をピックアップして電車駅に走っても、10時55分にはやはりむつかしいだろう。
飛行機のドアの前で開くのを待ったのは長いフーテン稼業で初めてだった。
いちばんに飛行機を出てイミグレへ向かう。なんと電車には乗らないで歩く。そんなに遠くのゲートへ着かなかったのだ。これもある意味ラッキーだったのかもしれない。
入国は日本人だから自動でかんたん。
さあ、あとはラッゲージと税関。
コンベヤは動き出していた。
おお、うそかと思った。
私のカバンが最初のグループで3個目か4個目に出てきた。
ありがたいEXPRESS OUTです。
税関もとくに何の質問もなかった。
急いで南海の駅へ。
10時50分、あと5分です。
カードでチケットを買った。
係員もなれたもので手早く処理してくれた。
こうして最終の特急に飛び乗った。
大阪市へはいったところの天下茶屋駅で迎えの弟と待ち合わせた。遅い時間なのにありがたかった。彼も兄貴が病院へ行かねばならいのを知っているから今回は気をつかって自分から迎えにきてくれた。

なんとか戻りました。
さあ休日明けには病院です。
どんな宣告が待っているのか。
盲腸いらい何十年ぶりかの手術だろう、おそらく。
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