異境への橋


話が前後します。
紀州の山里、そういえば聞こえはよいけれど、とにかく辺境の地。
若者そして子供がいなくなって過疎というけれど、この地は昔からとんでもない場所だった。たしかに私の幼少期に子供の数はそこそこあった、けれど不便な山奥の村には違いなかった。
嵐がくれば道路は遮断され陸の孤島となりそれが何日も続いた。その間、村人はどうして飢えをしのいだのかそのあたりの記憶が私にはない。
この地にも平家落人伝説や南朝衰退にまつわるやんごとなき人々の隠れ里としての逸話が残されていた。それだけ山深い里だったということでもあるだろう。
この地にたどり着くのは予備知識がないと容易ではない。
いくつも峠を越えわずかな戸数の村々を通り過ぎる。そしてまた山道をくねくねとたどる。この先にまだ人家があるのだろうかと、地図で見た山々には果無山脈と、まるで何かを暗示するような名前がついている。
そしてとつぜん開けたかのような場所にみえる橋。
これが異境の地へとつづく橋。
この鉄橋が架けられたときを私ははっきり覚えている。
多くの職人がやってきてこの橋を架けた。
忘れもしない彼らの、今でいうプロフェショナルな裁き。
なかでも赤く焼けたビスの投げ渡しは印象的だった。
一人が真っ赤に焼けたビスを鉄ばさみでつまんで数メートル離れた場所の仲間に放り投げる。
受け手は金属の筒をミットにして焼けたビスを受け取る。
そしてそれを近くの仲間がハンマーで打ち込んでゆく。
この一連の作業が子供の目にはまるでサーカスのようにも思え、飽きもせずながめていた日があった。
あれからもう半世紀以上。
異境への橋はまだここにある。


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