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    盆のころ  はるか空の彼方に

    日々のドキュメント 旅  アジア 
    08 /15 2016

    盆のころ はるか空の彼方に

    日の丸扇子
      ยินดีต้อนรับสู่ Blog ของฉัน [ไดอารี่เกี่ยวกับเมืองไทย โดย Mr.Chiibou]
      ようこそいらっしゃいませ、ありがとうございます


     この季節になると思い出されるのは幼少期を過ごした山村の盆。

     深い山に囲われ村の底を這うように川が流れている。
     家々は山肌にしがみつき点在しており、その頃過ごした家もそうだった。ひとつの山肌に開墾された棚田を三軒の家が分け合うようにして生活が成り立っていた。

     お寺などがある村の中心部へ行くには徒歩だと小一時間は必要とした。鉄道駅のある海辺の町へ行くバスは朝晩一往復だけ、子供心にもずいぶん山奥に住んでいるという意識があった。

     楽しい夏休みのなかでも盆は最大の行事だった。

     寺の前の川原では竹と藁で組まれた舟が鎮座し日暮れから行われる施餓鬼行事を待っていた。
     舟にはその年に亡くなった人々が藁人形になって乗せられ、僧侶の読経とともに舟に火がはなたれる。
     締め込みひとつの青年たちが舟を川の中央に引き出す。
     読経とドラの音、人々の歓声のなか青年たちの肌が炎に紅く染まる。
     竹と藁の舟は天まで届くような火柱を上げ流れてゆく。
     誰に教わったわけでもなかったが、子供心に、あれはきっと魂が天国へのぼってゆくさまにちがいない、そんなことを思っていた。

     それが終わると人々は向かいの山すそにあるお寺へ移動する
     川までの道筋に吊るされた提灯が手渡され、それぞれが期待に胸を膨らませて寺への夜道を歩く。

     お寺の広場で盆踊りの時間。
     けっして明るくはないぼんやりとした提灯の灯りのなかで人々が踊る。
     太鼓に合わせ村の名人が謳いあげる音頭。レコードなどではない生の唄がマイクもなしに広場にしみわたってゆく。
     人々が手にするの二本の日の丸扇子。それが薄明りのなかでひらひらと舞う様は、まるで異境の地に足を踏み入れたかのような不思議な光景となって今も脳裏に刻み込まれている。

     成人を迎えた頃、いちどだけそのお寺を訪ねたことがある。
     広場を目にしたときしばらく動けなかった。
     それは広場と呼ぶにはあまりにも狭隘な、ただの庭先といってもよい程度の広さしかなかった。
     盆の夜に人々が舞い踊り、薄明りのなかを駆け回った子供たち。
     あれはなんだったのだろうか。
     
     盆のころ、いつも思い出す、そして不思議な感覚に陥る。
     村を離れて数十年。
     どこの空の下にいようとこの季節にはよみがえる盆の光景。
     まるで自分の魂だけがあの地へ飛んでゆくような感覚がいまもある。
     


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    ちい公

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